弟 エピソード5

  下の弟の話に戻ることにする。弟は3か月アルコール病棟に入院した。退院が近づいたある日、父が涙ながらに

「住むとこもない。生活に必要なものが何一つない。悪いが、あいつと一緒にこっちに来て、アパートを探し、生活必需品を揃えてくれないか」と言った。仕事だけは、父と跡取りが頼み込んで持続してもらえることになっていた。それは本当にありがたかった。

 3か月もアルコール依存について勉強したし、酒を断った生活をしたのだもの、もうこれで安心と誰もが思った。アパートが決まって、布団やカーテンを購入したが、届くのは翌日なので、その日はビジネスホテルに泊まった。夜電話をすると、弟の口調がおかしい。言葉がもつれているのだ。悲しいなんてものじゃあない。今になって思うと、現在進行形のコロナ対策と似ている。患者数を勝手に決めて、それ以下になったから制限を緩める。そしてまた増加傾向になると、制限する。無間地獄を連想させる。依存症場合、本人だけではない。周囲を巻き込んでいく。弟を見ていると、本人は飲むだけ飲んで、病院に担ぎ込まれて休める。周囲の地獄はここから始まる。病院の手配、入院に必要な品々を揃え、入院費の心配、退院後の生活のことまで、どこまで続くぬかるみぞとなる。合間には家族会に出席して、勉強もする。家族会ではっきりしたこともある。家系図をたどっていくと、必ず大酒飲みがいる。我が家の場合は祖父だった。私の子供の頃は、飲み屋さんがアなくて、祖父は近所の酒屋さんで、土間に面した畳に座って、お酒を飲んだ。酒屋さんは販売や配達だけでなく、そんなこともしていた。簡単なつまみがガラスの器に入っており、ピーナツが7cmほどの透明の袋にはいっていた。学校の門からでると、酒屋さんに向かう祖父と出会うことがあった。飲み友達も一緒の時もおおく、二人とも自転車を押して歩いていた。ピーナツ目当てで、私も祖父たちの後をついていった。袋の中には、折りたたんだ桃色の紙がはいいていた。狐のえが右端に描かれていて、狐の口に火をつけると、静かに燃えていって、格言が書かれた中の一つを、ぐるりと焼いた。子供の私は、胸を躍らせたものだ。ピーナツも美味しかった。祖父は家でも飲んだので、ちゃぶ台の近くの物入れには、一升瓶があった。私も小学生の頃、好奇心で味見をしたことがある。胸の中が熱くなった。嫌な感じではなかった。弟があたしと同じように試したかは知らないが、お酒が日常生活にいつもあったのは確かだ。祖父は消防団長など、地域の世話役を引き受けていて、雨の日や、川や池で鰻や鯉が獲れた時など、近所衆が集まって、宴会をやっていたという。祖父のおごりだったと。みんなにおだてられて、祖父も悪い気はしていなかったと思う。

 落ち着いて眺めて観るとそうやって、祖父と弟の共通点が浮かび上がってくる。二人ともリーダーの立ち位置にいた、自分に従うものを世話し、おごるのは日常の事だった。ただ、時代が違うので、祖父は自宅で、弟は女性のいる店で、祖父は身近な人達に、弟は店の女の子たちにということだった。祖父の時代には、土地、山を担保にしてお金を借りていたが、弟の時代は、給料明細書で借りれる最大限の金額を提示したらしい。

「お客様だったら、すぐ100万円はお貸しできます」と言われていたと、弟が自慢の気持ちも込めて言ったことがある。日本中が景気に浮かれていた時そうやってあちこちのカード会社から、借り入れれば、いずれ行き詰る。行実家に泣きつき、なんとかして、体裁は保ちたい父母が、返済をしてくれれば、自分は大丈夫なんだ。家がついているとの気持ちに陥ったのは、たやすく想像できる。

 母は自分だけで解決したかったのだと思う。よく働いた。母の思いもむなしく、母が返してやればやるほど、弟の借金額は増えていった。右肩上がりというやつだ。とうとう母だけでは賄いきれなくなって、父に打ち明けたのだと思う。父は母とまったく同じ行動をした。世間体というものは、あの時代の人には、大きい存在だったのだろうと思う。でもそれでは解決はしないということを証明した。

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