私の3・11
もう7年になる。あの日からの事は、今も私の中でくすぶっている。地震、津波の映像を見て震えが止まらなかった。家族、知人を無くされた方々は、今も心に傷を抱えたままだ。あの日、原発は停止したとの情報で、胸をなで下ろしたものの、その後の展開にはパニックになった。子孫にまで、身心に大きな傷を与え続ける放射能。東京には子供も知人もいる。距離が多少あるにしても放射能は風まかせで飛来する。政府が起こりえないとしてきた過酷事故、だからきちんとした避難計画もなかった。現場の作業員の人達は本当に大変な思いをしたと思う。国難に政府、住民は右往左往した。私は電源が喪失すれば、すぐにメルトダウンするとの知識もなかった。半減期は短いものの、甲状腺癌の原因になる放射能ヨウ素の対策としてのヨウ素剤、うがい薬がヨウ素を含んでいるとして、身体に塗布する術を拡散してくれた人がいた。私はこちらでそれを購入し子供に送った。段ボールにいっぱいで、子供は魂消たという。入りきらなかった薬は、未だ手元にある。日本が情報を出さないので、スイスの気象情報で、風向きを確認し、一喜一憂した。取り残された動物達の姿に涙をこぼした。被災された方、動物達にせめてもとカンパを各団体にしたが、それが彼らに届いていないこともあったと後から知った。人間を含む生物を一旦避難させて、放射能を閉じ込めてほしいと多くの人が声をあげたが、瓦礫の拡散等、放射能を広める政策がとられた。結果、日本全土が濃淡はあるが、放射能に汚染されることになった。海への流出もある。ほとんど報道されなくなっているが、放射能は今も原発から漏れている。事故収束のノウハウも確立されていない。政府の対策は、基準値をあげること、各地におく線量計、個人がもつ線量計の値を低く出るようにすることだった。線量が低く出る事を強要された良心的な業者は、拒否してその後倒産した。場所によっては、同じ線量計が二つ並んでいる。これらの事は、現在表面化している企業のデーター改ざん、森、家加学園、スーパーコンピュター、裁量制労働の情報隠し、データー改ざんに直結している。世界で2番目に高い税金を徴収する日本は、国民への還元率は極めて低い。そして自己責任を押し付ける。原発事故を想定して、自分にできる事はヨウ素剤を常備する位しかできない。
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