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私の好きなこと

この記事は、「自分の好きなもの語り Advent Calendar 2022」の12日目の記事です。


今年は本を読んだり遊んだりしてぐうたら過ごした。多くは午すぎまで寝て、たまに朝に目が覚めれば、いい日だなどとぼんやりした安楽なことを思った。大学は休学している。来年度から頑張るための準備期間を設けたと考えてもらえれば都合がいい。

好きなものについて書くに当たって、専ら何かしら読んでいるような最近なので、読書についてでも書こうと思ったが、語るに足るほど真面目に読んだ本がないことに困った。では何か真面目に読めばひとかどの語りを披露できるのかというと、そういう自信がある訳でもないので、本について書くのはやめにしてしまった。

とはいえ、他に趣味もないので何か読書に関連することについて書くしかないだろうという気がした。何を書こうか思案するうち、次にどんな本を読もうか考えている時間が本を読むことと同じくらい楽しいことに気づいたので、本を選ぶことについて書いてみようと思った。

まず断っておきたいが、この記事はよい本の選び方を提案して、読む人の利益となることを目的に書かれてはいない。この記事にあるのは私の好きな本の選び方であり、それ以上のものではない。しかし、この記事の内容を試してみる人が一人くらいいてもいいと思うし、そうなった時には書いた甲斐があったと思えるのである。


さて、本を選ぶといっても、読みたい本が当初から決まっているならわざわざ選ぶ手間も要らない。実家の猫の欠伸を見たらふと『吾輩は猫である』が読んでみたくなったとか、なんだかよく名前を目にするから『方法序説』を読んでみようとか、そういうことなら差し支えなく読む本が決まる。しかし、最近のニュースがちんぷんかんぷんだから経済についての本が読みたいとか、あるいはなんでもいいから小説が読みたいというような場合には、読む本を選ぶという過程を省くことはできない。

具体的な話に移ろう。何かを学ぶために本を選ぶとき、その対象がメジャーな学問なら、大学のシラバスを参考にするのが手っ取り早い。わざわざ大学ごとに調べなくても、コロンビア大学の何某かが700万超のシラバスをまとめた Open Syllabus というデータベースを作ってくれているので、これを参考にするとよい。Fields から任意の分野を選択すれば、その分野でよく用いられている教科書を知ることができる。

Economics を選択するとこうなる

一見するとかなり便利なツールだが、私には都合の悪い点がいくつかある。上で700万超のシラバスと書いたが、そのうち433万はアメリカの大学のシラバスであるから、事実上はアメリカの大学で使われる教科書のランキングである。よって、分野を選択して列挙されるのは全て洋書にならざるを得ず、英語が堪能でない私は日本語の訳書のありかをそれぞれ確認しないといけない。それに、アメリカの大学で使われる教科書の特徴として、その分厚さがある。上に示した経済学の教科書のランキングのトップ3には全て日本語の訳書があるが、そのページ数はそれぞれ868ページ、696ページ、755ページと、趣味としてやるにはちょっと尻込みしてしまう。分厚い分値段も嵩む。生半可な気合いでは手を出せないのである。

一応日本の大学に絞って教材を検索することもできるが、どうやら洋書しかサポートされていないようで、日本の大学で使われている歴史の教科書を調べても Andrew Gordon 著の A Modern History of Japan が一位に来る。そんなはずはないのである。以上のことを考慮すると、Open Syllabus は強力なツールだが私にとってその役割は限定的である。

日本の大学のシラバスもその多くがインターネット上で公開されているが、和書を検索できる Open Syllabus のようなサービスはなさそうなので、「経済学概論 シラバス」のようなワードでGoogle検索して各大学のシラバスをちまちまと調べれば、(大学で使われているという意味で)ある程度の質が保証された入門書を見繕うことができる。こちらは分厚いものもあればそうでもないものもあるので、読み切れそうなボリュームのものを選べばよろしい。


小説は、作品から作品へと芋づる式に読むのが楽しい。ウエルベック『素粒子』にハクスリー『すばらしい新世界』への言及があったから読んでみたり、夏目漱石『草枕』の主人公が陶淵明の詩に非人情を見て有り難がっていたから読んでみたりした。

また、一人の作家に焦点を当てて、成立した順に作品を読んでみるのも楽しい。例えばチェーホフの初期の作品にはユーモアや滑稽味が目立つが、次第に人間観察に深みが増し、社会への眼差しは鋭くなる。その作風の変遷の裏には、先輩の作家による助言や、流刑地を旅行した体験があったようである。

完全に独立した個人が存在しないのと同様に、完全に独立した小説というものも存在しないのであって、作家は既存の作品の他にも、交流した人物、時代の趨勢、生活環境などから影響を受けながら作品を成立させる。そうした様々な連関を意識しながら小説を読むことは、小説の内容が一つの独立した世界を生成すると見做し、その中へ没入することによって得られる楽しみとは異なる楽しみを私に与えてくれる。その楽しみとは、小説の執筆が飽くまでもこの現実世界における営為であると確認し、作家と私とが小説を介して二人の人間として意思疎通する楽しみである。


おおよそこんな風に本を選び、読み、退屈せぬ休学生活を送れているからありがたい限りである。今年も各々いろいろなことがあったことだろうが、ともに一年の終わりを迎えられることを喜びたい。ここまで読んでくれてありがとう。私はこれから歯を磨いて寝るつもりである。

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