見出し画像

【東海の放送コラム】東海3県のラジオはそれぞれの県でスタートした

東海3県民放の夜明け

愛知・岐阜・三重をひとつの共同体として指す言葉「東海3県」。放送メディアにおいてもほとんどがこの東海3県をひとつの放送エリアとしています。名古屋を中心として「中京広域圏」と呼ばれるわけですが、最初、どのようにして放送局が置局され、スタートしたのでしょうか。全国組織であるNHKではなく、民放の歴史を紐解いてみましょう。実は全国で唯一の特殊事例があるのです。

東海3県の民放の夜明け、最初は、愛知・岐阜・三重にそれぞれ民放AMラジオ局が誕生しています。あれ?三重県にAMラジオ局って今は無いですよね。では振り返っていきます。

愛知は中部日本放送(CBC)

名古屋にある中部日本放送(現在のCBCラジオ)は日本初の民間放送です。昭和20年代に発行された「NHK年鑑」から、その当時のCBCがどのようなものだったのかを見てみますと、1953(S28)年11月現在とその2年後の「全国商業放送一覧表」にはこうあります。

中部日本放送株式会社
略称CBC。コールサインはJOAR、周波数1,070kc、出力10kW。

放送開始日は1951(S26)年9月1日となっています。当時の電話番号は「24-2571」。まだ市内局番が2桁なんですね。同じ日に大阪に新日本放送(NJB・現在の毎日放送)も開局しています。ちなみに、当時はまだ大阪も東京も市内局番は2桁でした。

さらに、CBCには1つ目の中継局の計画がありまして、1954(S29)年3月1日に高山中継局、JOAO、1,460kc、100Wでの開局を予定しているとあります。名古屋の次が岐阜県の高山であったということは、CBCは最初から愛知県域ではなく、東海3県を放送エリアとした広域放送局であったことがわかります。

ただ、実際には高山中継局はその予定どおりに開局することができず、先に愛知県内の豊橋中継局が開局(1954.3.15)、続いて高山中継局が(1954.8.15)開局しています。ちなみに豊橋局の当時の電話番号は1672、高山局の電話番号は5531で、市内局番の無い4桁の電話番号となっています。

三重はラジオ三重(RMC)

続いてその一覧表を見ますと、日本で31番目の民放局として「ラジオ三重」という記載があります。

株式会社ラジオ三重
略称RMC。コールサインJOXR、周波数860kc、出力500W。

ラジオ三重の所在地は「伊勢新聞社内」。伊勢新聞社のなかにラジオ局があったのですね。そして電話番号は「80」。市内局番が無いどころか、80と回すだけでつながったんですね。当時の津の牧歌的な感じが伝わってきます。

ラジオ三重は1953(S28)年12月10日に開局しており、上野中継局、JOXO、1,460kc、100Wも設置しています。放送局名と出力から三重県域であったことがわかり、さらに、関西の文化が強く、大阪の朝日放送が中継局を作ろうとしていたといわれる、上野に早々に中継局を置局しているところに、戦略的なものを感じます。

岐阜は岐阜放送(GHK)

続いて、岐阜県です。38番目の民放局として「岐阜放送」という記載があります。

岐阜放送株式会社
略称GHK、コールサインJOOF、周波数1,460kc、出力100W。

この岐阜放送は、現存する岐阜放送とは無関係で、1955(S30)年3月10日に開局しています。電話番号は「2-1134」となっていて市内局番がありますから、津よりも岐阜の方が都会であったことがわかります。所在地は「岐阜市上加納4700-10」。

このように、東海3県の民放の歴史は、名古屋に本社を置き東海3県をエリアとする中部日本放送(CBC)、三重県をエリアとするラジオ三重(RMC)、岐阜県をエリアとする岐阜放送(GHK)という3局体制でスタートしたのです。

三重のAMラジオ局はどうなった?

ここで疑問に思いますよね。その今の岐阜放送と関係のない岐阜放送と、ラジオ三重という放送局はどうなったのか?と。

そのカギとなるのが、岐阜放送の住所です。「岐阜市上加納4700-10」。この場所にずっとあったのが、1963(S38)年竣工の「岐阜ボウリングセンター」です。1990年代、既にボウリング場としては廃業となっていたものの、その廃業したボウリング場のなかに存在し続けていたものがあります。それが「東海ラジオ放送岐阜支局」です。

一方の、ラジオ三重は本社を伊勢新聞社内から一度、津市下部田町に移し、1956(S31)年に三重会館が完成すると、そこに入居します。三重会館は2000(H12)年に建て替わりましたが、今も三重会館に入居しているのが「東海ラジオ放送三重支局」です。

つまり、かつての岐阜放送とラジオ三重は現在、東海ラジオになっているわけです。

名古屋を東京・大阪並にしたかった?

日本の民間放送のスタートにあたって、国は東京(広域)は2局、それ以外は各地域に1局しか開局を認めないという方針を立てました。しかし、大阪(広域)では2つの勢力が対立し、結果として2つの放送局が誕生するのですが、東海3県は愛知(広域)1、三重1、岐阜1と、国の方針どおりに各地域に1局が誕生となったのです。

しかしそこから、名古屋も広域2局体制へと脱皮すべく、それまでに前例もなければ、それ以降の実例も一切無い、放送エリアの拡大をともなった放送局の合併という動きが起きるのです。

参考文献:
NHK年鑑 昭和29(1954)年版
NHK年鑑 昭和31(1956)年版
写真:
CBCにある「民放第一聲の地」記念碑(名古屋・中区)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?