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川に浮かぶ木と川から流れてきたもの

久しぶりに家の近くを歩き、大きな橋を渡る途中で橋の下に流れている川を覗いてみた。川を覗き込んでもそこに魚は見えないし、なんとも味気ない大きな川が広がっているだけであった。それでもしばらく川面を見つめていると、ゆっくりと昔の記憶が流れてきた。

母親の出身は東京の深川、木場という所だ。五人兄妹の長女で兄が三人と妹が一人。

母は父と結婚して隣の県に引っ越してからも、お正月になると必ず僕たち兄弟を連れて家族そろって深川の母の実家へと出かけた。

毎年一月二日になると深川で母親の兄妹が集合するのだ。久しぶりに会う祖父母と親戚が僕たちを笑顔で迎えてくれる。親戚が全員揃うとそれはかなりの数になる。とても賑やかな一日だった。もちろん僕の最大のお目当ては祖父母と親戚から頂くお年玉だったのだけれど。

祖父母と叔父や叔母たちは僕らに会うと真っ先に嬉しそうな顔をしてポチ袋を手渡してくれた。袋の中にはお札が優しく折り曲げてあるので、袋は少しばかり膨らんでいる。

それから大人と子供に分かれるのだ。僕たち子供は久しぶりに会って離れてしまった距離を少しずつ、互いに話しをしながら縮めていく。親戚は学校の友達とは違って、ものすごく親近感があるのに年に数回しか会わないせいで最初はいつだって照れくさかった。

一方、お年玉を渡し終えた大人たちはというと、男の人はコタツに座ってお酒を呑んで顔を赤くし、女の人は台所でせかせかと料理の用意をしていた。みんながとても楽しそうな顔をしていたことを今も憶えている。

お金を頂いて、そのうえ美味しい物をたくさんご馳走になり、その場にいる者が全員笑っているのだ。今から想えば、なんと素敵な一日だったのではないだろうか。

そして、親戚との距離が縮まった頃になると、決まって帰る時間になるのだ。僕は寂しい想いで深川の家の玄関を出ると、地下鉄の駅まで家族の一番後ろをつかつかと歩いていく。前を歩く父はお酒が強くないので、たいてい帰りの電車に乗ってからも真っ赤な顔をして上機嫌で笑っていた。

それがお正月の恒例行事だった。

それでも僕が高校生の頃に親戚が木場から別の所へ引っ越されて、残念ながら僕らが深川へ行くことはなくなってしまった。

あれから何十年も時が過ぎ、もうあの場所は見る影もなく変わってしまったことだろう。思い出せるのは、みんなで集まって食事をしたことと、地下鉄の中で感じた鉄のような匂い。そして橋の上から見た川面に浮かんでいた何本もの丸太だ。僕の家の近くにも川はあったのだが、川には丸太どころか船だって浮かんでいるのを見たことがない。川に太い木が何本も浮かんでいるのだ。それはとても不思議な光景だった。

いまでもあの川には丸太が浮かんでいるのだろうか? 

散歩中に近所の川を見て、ふいにそのことを思い出し、スマホで調べてみると木場は材木が集まる場所だったらしい。だから木場というのだ。正に読んで字の如しだ。何十年も前から地名も知っていて、川に丸太が浮いているのを見ていながらも気がつかなかった。

もう行くこともない場所の地名の由来や川面に浮かんでいた木の理由など、なんら取り留めることのない話だが、由来を知って、理由を知ってなんだか嬉しくなった。

そうか、木の置き場所だから木場なのだ。だから川には木がたんさん浮かんでいたのだ。そうか……。だから木があったんだ。なるほど。

とても分かりやすい。日本語はとても良くできている。

あの時のあの場所の祖父母や叔父、叔母の前で、木場の地名の由来を教えたい。そうだ、丸い木が川に浮かんでいる理由も教えよう。 

きっと彼等はそんなことは、とうの昔に知っているのに、自信満々で話す小さな僕を感心した顔で褒めてくれるんだ。


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