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釣行記-36【スター誕生】

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どうもこんにちわ。釣行記の第36回目です。今回は打ち合わせを兼ねての釣行。というか打ち合わせメインですね、気分だけは。

今回はこちらから出船。

ネオマイム、じゃないよ。そしてターゲットはこちら。

出自:https://fishmanrod.com/flat-head-select-rod

でけー。写真の上宮さん、風貌はワイルドですが、とても丁寧で感じのいい話し方をされる人です。そしてターゲットは上宮さんではなく、マゴチです。関東では照ゴチと言われてるみたいで、夏が旬の魚みたいですね、知らんけど。春でも秋でも釣れますけれど。加えて、夏のフグ、とも呼ばれ(ているみたいで)、淡白な白身はどんな料理にも向いています。

と記述していて改めて感じたのですが、最近、料理熱ばかりでなく、食欲もぐんぐん落ちてきていて、多分死期が近づいているからだろうと思うのですが、魚釣っても食べようとか思えないのです(少しだけ切実)。だってかわいそうじゃん、というのは冗談ですが、本音言うと、疲れて帰ってきて料理、ってのがやや控えめに言うとするとすごく、とても、なによりもめんどくさい。ぼくの行動原理というか外的要因に促されてなにか行動する場合、その行動がめんどくさいかめんどくさくないか、これでまず判断するという乳幼児かのように退行している昨今、釣ってきてからの料理はめんどくさい。しかもめんどくさいことして出来上がったものを食べたくはない、となると、高邁な意志の対極にある気分でのキャッチアンドリリースになります。あるいは人にあげるか。

つりの楽しみの一つ(であるはずだけど、ぼくからは失われつつある)料理に関して思うことは、旨い、不味い、ってのは不思議なものだな、ということ。自分で釣った魚、釣りたての魚は旨い、とよく聞きます。ほんとに?ほんとにそう思う?

まず前者、これは原始人的な本能というか、お金を払い乗り合い船に乗るという例え経済活動の基盤の上にあるとしても、金払えば魚が釣れるわけでもないので、自力で得た食料を食べる、この一連の行為はなかなか楽しいものです。割とプライスレス。なので、これは概ね合意。キロあたり数千円する高級魚であったとしても、実際の釣れ高で言うといいとこ数万円であろうし、馬とか鯨みたいな量を食べることもできないため、コスト換算すると、釣って食べるというのは経済合理性の埒外にある経験というか、コスト度外視なむしろかなりの道楽だと思います。加えて、同じお金を使うなら、いいお店で食べたほうが美味しいと個人的には思います。特にお刺身とか。ま、これはぼくが料理が下手、ということが原因ですけどね。

次に釣りたての魚について、ですが、熟成させた方が旨いと思います。新鮮だから美味しい、ってのは畜肉の内臓とか野菜とかには当てはまると思いますが、魚はその限りにあらず、かと思います。

人に魚をあげた場合、真鯛とかマグロとかカツオとかサワラとかハタ類とか、比較的高価で、美味しく、捌きやすいものだと喜ばれますが、マゴチは結構面倒なんですよね解体が。だから一般的じゃないんでしょうか。好きな寿司ネタを聞いて「んー、マゴチかな?」と言った美人とはまだ知り合ってませんし。いるのかな、そんな人は。

そんなマゴチ、美味しいけれど、ブサイクですよね。オコゼとかマゴチとかフグとかブサイクな魚は大抵美味しくて、ブサイクなペット、猫とかとくに、ブサイクであるほど可愛かったりしますけれど、ブサイクな人間で素敵な人にはまだあったことが無いので、残りの人生の目標にしてみようと思います。とてもブサイクで素敵な人に出会うこと、を。あ、鏡見ればいっか。毎日会えるから目標達成、と。ラッキー☆

そうしたわけで、今回も釣れても誰かにあげるか、逃がすかしようかと思っていましたが、神経締めの練習もしたいので頑張ろうとは思っていました。そして出船。一気に富津あたりまでいくのかと思いきや扇島とか近場をコツコツ撃っていく感じです。前日、いろいろと考えまして、ルアーには多分ブレードがあった方がよくて、エコギアのバルトみたいにボリュームがありつつ、でもピンテールでもいいような感じもしつつ、熟慮の結果のリグ。

ふーん。チェンジ!

一流し目はえさチーム含め船中全滅。二流し目も船中全滅。三流し目も。。。と思いきやルアーチーム(三人のみ)のうち一人にヒット。だがしかしフックアウトで次の流しへ。この辺からみなさん釣れ始めます。中乗りのだいちさんもあっちこっちタモ持って走り回ります。が、こちらは死後数日は経過したような遺体にも似た沈黙を死守しております。たまに何かが触るけれどそれがマゴチなのか他なのかなんなのか。。。仕方ないのでラーメン食べます。

茹でたてじゃないと美味しくないですね。そもそもこの「とみ田」さん、木更津のアウトレットでしか食べたことは無いのですけれど、なかなか美味しかった記憶がありますし、なんたって人気店ですから、「とみ田」ってだけでなんだかとても価値があるもののように錯覚しちゃうんですよね。これぞブランドですね。そしてこの商品、テロテロに絡みついた麺をほぐすためにお水が付いていますが、足りないっす。こう書くと嫌な感じなので、言い換えますと、食べやすくするには自前の水も必要ですよ!つけだれはお店で食べるより些かアッサリしているような気もしました。なんにしろ、調理までは行かないですが、薬味増やしたりとか多少工夫した方が美味しく食べることができると思いますので、船上で食べるには不向きな感じがしました。

最近、◯◯メシ、って言われる食事というか、ライフスタイルの一環なのか、そういう言われ方をするそういったものを結構聞く気がします。キャンプめし、とかね。でも船上メシってさっぱり聞かない。考えられる理由としては、日常的に船に乗る人なんて居ないからだと思いますが、割とチャンスあると思うのですよね、この分野のマーケット。船宿で弁当売ったりすればそこそこ売れそう。でも、釣り船であればどうせ魚釣るのだから、その場で加工して食べる、とかやればいいと思うのですよね。前に誰かが炊飯器持ち込んでご飯炊いてイカの沖漬けかなんか作ってる動画見た覚えはありますが、まだまだ一般的ではない、というかキワモノというか、そもそも釣りする人なんて少ないというか。。。

個人的にはその場でなんかする、ってのは試してみましたが、食べるところまでは行ってないので、今度やってみようかと思います。

やっぱ焼くのかな。。。

そして船上メシ、ですが、外で何か食べるのってなかなか楽しく、なぜか美味しく感じます。それはなぜか。

家の中で落ち着いていると脳波はアルファ波が主体になるそうです。外に出ると緊張感があるベータ波がでてきます。外が危険であるという本能ですね。一般に脳は報酬を絶対値で反応せず、相対値で反応するそうです。ですので、安全な室内で食べるより、危険で緊張している屋外で食べる方が、より大きい快感として認識されるようです。

なるほど!!もんの凄く説得力あります。昔、月に500時間くらい労働していて、思考のかなりの割合が「疲れた」「しぬ」「いや、死ね」みたいになっている頃、デスクで食べるファミチキとかがむちゃくちゃ美味しく感じたことや、大荒れの真冬の海上で食べるカップ麺があまりに美味しくて「こんなのチャールズ皇太子でも食べたことないだろうな。6,000円くらいなら払ってもいいな。。。」と感じたのはこういうことなんですね。

となると、どこかの店舗で食べて感動したものも、家で食べたらダメなのかな。基本、人と会って緊張することはないし、何か害を与えられることもないと思うので、身近な人には居ませんが、例えばハンニバルレクター博士みたいな危険極まりない人と食事したらすごく美味しそう。そういう感動は家では味わえないのか。。あるいはアルファ波100%の時に完璧に美味しいと感じるものを船上で食べたら、よくて気絶する、くらい美味しいのでしょうかね。試してみたい。凪の時にバーナーと飯盒持ってご飯炊いてみようと思います。

ここでまた一つ、真実に近い仮説を思いつきました。高価なものが何故美味しく感じるのか。それは高価であればあるほど、自分の経済状況を根幹から揺るがしかねないくらいのインパクトがあればあるほど、生命の危機を感じるためにベータ波が出まくり美味しく感じるのではないか、と。まぁいいや。

で、船ですが、まぁ面倒といいますか、釣りしにきたのならまず釣りしろよ、という意見も内外にあるため、春:カップ麺、夏:冷やし麺、秋:カップ麺、冬:カップ麺というのが船上メシの基本になっております。ことしは一瞬、冷やし中華ブームが来ましたが、始まらない冷やし中華が無いように、終わらない冷やし中華もないようで、もう食べる気がしません。ということは、始まらない恋が無いように、終わらない恋も無いので、もう恋なんてしないなんて言わ無いよ絶対。

ぼくにとっての船上カップ麺のエース。気まぐれでチャーシュー追加したり。おろしにんにくもアリな感じするので、次回やってみます。

ずっと同じところに住んで、同じような人と付き合って、同じ仕事をして、と、そうしたことをしている人をぼくは心から尊敬しています、田舎の友達とか。不断の努力がそこにはあるように感じるからです。でも、そうした人生はぼくには到底耐えられない、というかそうした努力が出来無いので、定期的に入れ替えるようにしております。たべものも同様で同じものばかり食べていると思考力が減退するような気がしますし、美味くも不味くもないものを食べるくらいなら何も食べない方がマシだと思っていますが、山頭火のカップ麺は美味しいですよ。

と、かなり大きく、帰路を真逆にいくくらい話が逸れましたが、マゴチです。ロッドを軽くしゃくってルアーを着底させる、というリズムが鉄板なのですが、何が悪いのか、さっぱり釣れません。改めて考えましたが、
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・潮の向きとルアーの向きが合っていなかった:ポジショニングの問題
・ルアーのアクションがマッチしていなかった:装備と技術の問題
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こんなかなぁ、と。ポジショニングは乗り合いだとどうしても難しい。空いてりゃいいけれど、釣り座が固定されているような時はなんとも仕方がない。ただ、移動し続けるため向きは流動的なのであまり問題ではないかも。問題は装備と技術。

装備に関してはルアーが足りないというのと、使っていたロッドとラインが合っていなかったように思えます、今となっては。

技術に関しては、例えば手元で20cmほどロッドを煽ると、20m先、水深7mの位置にあるルアーは何センチ動くか、これをロッドのパワー(硬さ)と合わせて瞬時に算出できる数式をですね、物理に詳しい人、考えてみてほしい。そして教えてほしい。これがわかるとルアーをもっと魚が釣れるように動かせるようになる気がします。

といったことを考えながらやってましたが、やっぱり小さいあたりは出たりしますが、釣れません。完全に釣れません。移動を繰り返し、まわりはサクサク釣っておりますが、釣れません。必殺のタイラバでも投下しようかと思いましたが、まんまと忘れてきたため、再度原因を考えます。装備と技術について、その正当性の裏書きをするのは釣果です。ぼくはマゴチをルアーで釣ったことがありません!!よって、今回の装備と技術が正しいのかわかりませんし、釣れないので正しくないのでしょう。去年、ジグ宮さんと行った際、ふなべりまで寄せたことはありますが、キャッチはありません。また、昨年の早い時期に、今回と同じ船で巨大なマゴチを仕留めましたがそれはエサ釣り。一昨年は失礼極まりない船長のフネで二匹釣りましたがそれもエサ。

しかし変わった船長だったな。どこかは書かないけれど。座って釣ろうとしたところ「おい(←彼の認識ではぼくは客ではないw)、周り見てみ、みんなどうやって釣ってる(←立ってやれよ)」と声がけしてくれる、なかなかシニカルな物言いをする人でした。何に育てられて、何を見て、何を食べて暮らすとこんなに嫌味かつ、独裁者みたいな感じになれるのでしょうか。常連に変に支持されているからかな。客商売云々の前に接触したくない生き物の最右翼ですね、こういう人。こういう人間型生物の問題点としては、話してみないと危険かどうかわからない、ってことなんですよね。この人の場合は見た目でわかりましたけれど。。。

加えて、一緒に行った後輩がまた素晴らしく、彼はその釣りが好きで一家言あるようなのです。事前にすり合わせしていて、道具の話になったところ「ぱいせん、そんな竿じゃ釣れないっすよ、マゴチは、マゴチだけは特別なんですよ」と。この人、自信過剰なせいか、自分が自信を持っている分野では他人を見下すところがあって、さもバカにしていたんでしょうね、その時点でぼくのことを、「わかってんのか?バカ、わかってねーんだろ、バーカバーカ」と。で、実釣しますと、ぼくはたまたま、ささっと二匹釣れましたが、その後輩は苦戦。。。徐々に顔色も青ざめてきているようで、前日の偉そうな態度を呪っていたのでしょうか、震え上がったようなあの眼差しが忘れられません、気持ち悪すぎて。結局彼もなんとかキャッチ 。午前船だったので「午後も乗りましょう」と言われましたが、フネがきもいので撤収した苦い記憶があります。

と、またも逸れました、あと数回逸れると思いますが、経験こそがその技術の正当性を担保するわけで、経験と技術の蓄積で再現性が生まれてくるみたいなのですよね。世の中の大抵のこと、上手い人は80%くらいまではすぐにできるようになります。仕事然り。ただ多くの人は80%までたどり着けずに諦めたり向上心や目標を見失ったまま取り組んだりしていますよね。でも本当に大変なのは、80%を超えてからだと思います。難しそうに見える仕事であっても半年もあれば大抵80%まではいけると思いますが、そこから先は1年取り組んでも81%にしかならなかったりすると思います。釣りに関しても同様で、ある程度まではすぐにできるようになりますが、そっから先が難しい。でも、本当に上手い人、優秀な人って80%からが早いのですよね。。

では「上手い」とは何か。これまでの人生で何度か思いましたが、意志の力、と言い換えてもいいように思えます。例えば、何かをあとひと頑張りで成し遂げられるのに諦めてしまう時、ここには二つ問題点があり、一つは打ち手がまだ残っているのに諦めてしまうこと、もう一つは「あとひと頑張り」が何かわからないあるいは必要なことに気づかないこと。やり遂げる意志があれば、その力が強ければ強いほど真剣に取り組むのは、水が低きに流れるのと同じくらい、太陽が西に沈むのと同じくらい自明であって、前者であればやれることはすべてやる、後者であれば、一分の抜け漏れすらないよう綿密に考え、その考えを元に先々のことまで考えるだろうから、成し遂げられるのは自然なのでしょう。あと一歩踏み出せば違った今になっていたかもしれないと、眠れない夜に思い出してしまうような、そんな苦い経験や記憶って多くの人にあるのでしょうけれど、まぁそこは万事塞翁が馬と思って暮らしていけばいいんでしょうかね。今日の満足は明日の慢心にもなりかねない、と。

と、威丈高にシャウトしましたけれど、ぼく個人で考えてみると、直近で一番不思議だったのが小型一級船舶免許の試験。やるからには合格する、と思いつつ、前段で書いた通り「めんどくさい」がゆえに一向にやる気燃料に火がつかない。プラグが被ってたんでしょうかね。そうした場合の対策としては、時間を使う、というのが有効です。火曜日に試験だったので、金曜から予定を入れずに勉強用に当てておりました。そしてその勉強用の日程ですが、決して無為に過ごしたわけではないとは思う、思いたいのですが、気がつけば、親から放っておかれた小学生の夏休み最終日にも似た月曜日になっていました。おまけに夜は予定がある。。。時間は午前9時。リビングのデジタル時計がいつも以上に無慈悲に見えます。その時計には、その時計は僕のことを好きでも嫌いでもない、興味がない、そんな印象です。が、しかし、頑張ろうか、と。まずは問題の構成を見ます。確か、合計60問くらいで、7割以上で合格。
1)字が読めればわかる問題
2)常識という概念を知っていればわかる問題
3)航行の知識が問われる問題
4)教習は受けたけれど多少の練習が必要な問題
5)エンジンとかわりと特殊な問題
みたいな構成で、それぞれ7割以上で、合計でも7割以上の正答が要求されます。そして練習問題をまずはやってみます。1問解くのに1−2分かかるようです。各パート、候補になる問題、結構な量があり、これまたうろ覚えなのですが、合計で1,200問ほどあった気が。。。最短で行っても20時間かかるわけですよね、全部練習すると。それに気づいたのが午前10時。

そこでぼくは考えました。
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1)あきらめる。学科は再試験狙い
2)あきらめない。ギリギリまでやる
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この二つのどちらかを選ぼうとしたのですが、ちょっと事情があって、1.45くらいに存在していそうな、「あきらめはしないけれど、やり方を変える」を選択し、ひたすら教本読む、という中途半端な戦略にはもってこいな戦術で臨みます。まぁ、いい感じに読み込んで、夜はふつーに寿司食べたかなんかして就寝。翌日は頑張って問題解いて、実技では自信満々に受け答えして終了。正直、学科は出来た感はさっぱりなく、実技もヒモ結べなかったり、こりゃW再試験かなぁ、と思っていたらまさかのW合格。まったく手応えがありませんでした。なんていうか、意志もクソもないような話ですね、これ。でも、一緒に教習所に申し込んだ後輩、頭がいいというか、とても勉強はできるはずで、高校は麻布、いかに効率的に学習するか、の勉強方法を考えすぎた結果、基礎的な勉強をする時間がなくなって東大は諦めて慶應に行った、とちょっと話を聞いた限りでは何を言っているんだ?酔っているのか?それとも外国語を話しているのか?という人がいますが、彼は学科を二度落ちたようです。奇跡という名のミラクルというかミラクルという名の奇跡というか、そうしたネタを投下してくれたのがいい思い出です。

そしてそんなことはいくら思っても釣れるわけがないんですよね。まぁ、あとから書いているのでその時点では思ってはいないんですけどね。

その後数カ所まわり、大きく移動。いよいよお別れムードがさらさらと漂い始めます。まだあきらめません。と、何かヒット。

今回のタックル。いつものロッドより長くパワー控えめなため、軽いものでもよく曲がります。それを見た中乗りのだいちさん、タモを持って、足場の悪い中、100メートルなら10秒くらいで走ってしまう子牛のように猛然とダッシュで寄ってきます。

この時点で思ったことは「来ないでくれ!放っといてくれ!これは君が思っているようなものじゃないし、きっと後悔する!!」ということ。すっぴんの顔を意中の男性に見られそうになっている女性ってこういう気分なんですかね?

ほら。なにこれこY。スターです、スター。黄色いスター。スター誕生。

それにしても太いな、これ。そしてこの日のロッド、これ級のヒトデを釣るのは二匹目という呪いにも似た業を背負い込んでしまうことに。。。

このロッドで最初に釣れた生物。ランカーヒトデ。スター中のスターですね、これは。

このくらいのクラスのスター、人間で言えば郷ひろみさんとかなレベル感でしょうかね。最近なら誰だろう、ローランド?

ローランドは幸せの象徴、だからライバルは鳩ですね。

だの

最近、ローランドを見かけた、ということを言われますが、ローランドは下界に降りないので、それはドナテラ・ヴェルサーチかアフガンハウンドか福山雅治さんでしょうね。

とか神がかったスター発言多数。

その後、気まぐれでフルスイングしてみたらルアーが高切れしてロスト。リーダーも切れているっぽく、納竿、となりました。お疲れ様でした。寄り道せずに帰宅しました。あ、うそ。寄ったな。まぁいいや。

総括
・マゴチは釣るものではなく、釣れるもの、でいいんじゃないかな。どうせ食べ無いし。
・ボトムの釣りで釣れないのはキッツイですね。サン=テグジュペリは星の王子様で「大切なものは目に見え無い」と言ってましたね。そうなると、ルアーの見えるキャスティングゲームよりも大切な釣りな疑惑も発生しますが、釣れない釣りは釣りですらないので困ったなぁ、と。
・今年釣って、「おぉ!」と少しばかり感動した魚は、2月にカルコンBFSで釣った真鯛、宮古島で釣ったカスミアジ、横浜で釣ったクロアナゴ、埼玉で釣ったニゴイ、この前釣ったクロダイ、と、意外性が感動の源泉になっているようですね。

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