靴職人から飲食へ

靴屋へ

理学療法士という国家資格を取得してから靴屋へ就職。3年間毎日のように足と靴とお客様に向き合ったが店舗の閉店に伴い、思い描いた職人への道は一旦お預けとなった。今振り返ると店舗の閉店が決まってからは、だいぶメンタルも落ち込んでいたと思う。いつかはインソールや靴の材料が散乱する部屋で埋もれ仕事がしたい。

熊本へ

そんなこんなで職を探す中で、ひょんな事から熊本行きが決まった。いや、決めた。思い切って海外渡航も考えたが、国内の遠い所で職が決まったのは自分の人生の中で大きなコトだった。熊本は震災後で、まだまだ復旧作業が進んでいない状況だった。熊本到着後に被災地を見て回ったが、テレビで見るより被害は大きいなと思った。でも熊本の人はとても元気で前を向いていた。なんか元気もらいました。

熊本では最初の1ヶ月は家も無く、会社近くの温泉施設「湯らっくす」に毎日寝泊まりをしていた。今じゃサウナーの聖地。出勤前の朝風呂、出勤後のサウナは最高だった。サウナにハマったのもこの経験があるからだ。
震災後の復旧作業で県外から多くの方が来られており、温泉施設の畳部屋で工事のおっさん達と雑魚寝したのが印象に残っている。夜中目覚めると真横のおっさんのイビキで起こされそこから寝れない日々も多々あったが良い経験である。

仕事

熊本では何をしていたかというと、一応理学療法士として訪問看護ステーションに勤務した。勤務先の会社には本当に恵まれた。こんな訳分からない異端児を拾ってくれ、いろいろな経験をさせて頂いた。本当に感謝である。
もちろん靴屋に勤めていたので、臨床経験はゼロ。併設されているデイで夜な夜な研修をさせてもらった。訪問は性に合っていたと思う。なんだかんだで、一生懸命働いたなーと思う。学会発表も行なった足学会と全国地域理学療法学会。まさか学会発表するなんて思ってもいなかった。人生とは不思議だ。

地方の訪問は基本車移動だ。最初は久々の運転や地理が分からずだったがすぐに慣れる。ヒトの強さとして、環境適応というのは凄い能力なんだと実感した。ヒトはどこでも生きていける。


生活

週末は釣りと熊本の街でたくさん遊んだ。たくさんの出会いがあった。
釣りは人生の遊びの一つになったし、これからも続けたい。
熊本は自然も豊かで山は阿蘇、海は天草がある。車で一時間あれば行ける距離だ。本当に素晴らしかった。海が多かったが、眺めているだけでメンタルが整う。メンタルを整えられる環境があるコトは大事だなと思った。

熊本から東京へ

そんなこんなで生活していく中で4年の月日が流れた。あっという間だった。
東京に帰るきっかけは、やはりコロナだ。
コロナが東京行きを早めてくれたのかもしれない。
熊本にもコロナが入ってきたタイミングだった。

そんな時、料理人の兄からお店を立ち上げるから手伝って欲しいとのオファーが入った。これはタイミングだと思い、安定した生活からまた茨の道を選択した。

自分の人生はいつもそうだ。安定した頃に必ず選択肢が現れ、幾度となく不安定な選択してきた。今回もそれだ。岡本太郎先生の教えが常に頭の中をぐるぐると付き纏う。でもそれが良いと言い聞かせてます。


飲食店立ち上げ

後ろ髪を引かれながら東京へ。兄と飲食店を立ち上げることなったが、飲食業はこれまた初めて。分からないコトだらけである。しかし勉強になることがほとんど。お金を借りるにはどうしたら良いかなど人生経験になる。どんな仕事も共通するなとも改めて感じている。


半年経過

コロナ禍でオープンし半年経過したが、計画通り運営出来ている。
お客さんも付いてきて、とても面白い。いろんなお客さんがいて毎日「観察力」を鍛えている。
どんな仕事も一緒で、相手が喜ぶ一手を常に準備しておく事に尽きる。


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