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京都〜日光を9日間で走った話2024(その5)

「う〜う〜う〜」

声にならない声とはこのことを言うのでしょう。食したものを全て戻してなんとか眠りにつくことはできたものの、昨日70キロ走行して消費したエネルギーは適切に補填されず体調も回復せず、私は得体の知れないうめき声とともに翌日の朝を迎えざるを得ませんでした。しかも今日も同様に70キロを走らねばなりません。その上全区間最大の難所である美濃十三峠も待ち構えています。

長距離のランニングでお腹を壊すということは、実は珍しくありません。そして対策は消化の良い温かい食事を取ること。それも解っています。
それならなぜ昨日は消化の悪いコンビニ弁当など買って帰ったのかと非難される方も多いかもしれませんが、こうした非日常の営みの中では、通常の思考回路が正常に機能しないことがままあることも事実です。例えばここで私が1953年のローマにタイムスリップしたなら、冷静に現代に戻る手立てを探るより、スペイン広場で王女とジェラートを食することを選択するでしょう。
それはさておき、なんとか正常な回路を取り戻した私は、宿を出たあと近くにあったなか卯に入り、そこで京風素うどんの小を頼みました。

ほどなくしてカウンターに運ばれたそれは、柔らかい京風のうどんに温かくて優しい味わいのうどんつゆ、それにネギの爽やかな香味と小粒の揚げ玉が絶妙のアクセントとなった逸品でした。

「ああ!」

五臓六腑に染み渡るとはこのことを言うのでしょう。海原雄山がその技術の粋を尽くした艶やかな日本料理を出してきたとしても、今の私はこの京風素うどんに勝利の判定を下すに違いありません。

なか卯の店員に丁重にお礼を言い、今日の目的地中津川を目指します。雄大な木曽川の川沿いの道も例年ならば爽快に走り抜けるのですが、今年はお腹に刺激を与えないようにゆっくり進みます。山道に入ってすぐのカフェで珈琲をいただき、いざ峠越えへ! 暑さも例年ほどではなく、次第に調子も出てきました。

木曽川の流れ。日差しもそれほど暑くない。

しかし、調子の良さを感じた時が実は最大の危機の到来なのだということは、数々の歴史が物語っています。第二次ポエニ戦争で猛将ハンニバルがスキピオに敗れたように、ワーテルローの戦いでナポレオンがプロシア軍の援軍に打ち砕かれたように、慢心というものはいつの世でも我々の大いなる敵であることに違いありません。
峠を登る→登りきって下る→下りが気持ちよくて飛ばす→曲がるべき道をそのまま直進→途中で気がついて引き返す→また登る→ロストを取り返そうとして下りは飛ばす→また道を間違えて引き返す。
というパターンを、この十三峠のおよそ半分で繰り返してしまった。そんな私を一体誰が責めることができるというのでしょう。

今年は日が落ちる前に中津川に着きたい!その切なる思いも虚しく、今年もまたどっぷりと日が暮れてしまいました。

中津川。なんとかお店が開いている時間には到着。

「とりあえず早くホテルに行って風呂に入って寝るべし!」

中津川で予約している宿は毎年定宿にしています。安くて立地が良いだけが取り柄の狭くて古びたホテルですが、どうせ帰って寝るだけの部屋です。何の不満がありましょう。

しかし。

「はい、では501号室です」
と受付の女性にキーを渡され、エレベータに乗ろうとした私の眼前に、まさに絶望という名がふさわしいそのメッセージが現れることになろうとは一体誰が想像したことでしょうか。

「エレベータ故障中につき階段で上がってください」

・・・
この70キロの山道を走ってきた体に、歩いて5Fまで行けと?! しかもこの、今にも崩れそうな急な階段で?

教訓。「ホテルに着くまでがその日の行程なのではない、部屋に入って寝るまでが今日の行程なのだ」

ぜひともこの言葉は来年のガイドブックに掲載し、来年度以降の選手には他山の石としてもらわねばなるまい。私はそんなことを思いながら、疲れた足を引きずってそのらせん階段をゆっくりと登って行きました。

(その6に続く)



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