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続・京都〜日光を9日間で走った話(その7)

我が国では何かを代表するものとして、その総数が三以上の場合は「大きい」の文字を使用し、三大夜景、四大文明、などと呼称を付与してその栄誉を称えることを世の習わしとしています。三大夜景は神戸函館長崎とされておりますが、最近では函館と長崎がその地位から陥落し、かわりに札幌や北九州市が選定されたとの情報もあります。夜景には都市の光が欠かせないもの、時代の移り変わりと共にその主役も変わり得るのはやむを得ないものかもしれません。なお我々ランナーにとっては五大栄養素の摂取は非常に重要です。

しかしこうした呼称も六以降はめっきりと少なくなるのですが、それが桁が上がり100という輝かしい数字に到達すると、俄然時代の檜舞台を彩っていくこととになります。
例えば百名山、そして百名城、むろん、山はその意志を持って100の頂きを成すことはありませんが、日本の山々を登り尽くした偉大なる先人がその名にふさわしい山々を選定した際、この数字に格別なる思い込めて選定したものであることは言うまでもありません。

とはいえ、北は北海道利尻島から南は九州屋久島まで、全国津々浦々の頂きをすべてを登るなど常人の為せる技とは到底思えないのですが、昨日から道中をともにしているB氏は、ランナー稼業の傍らその百名山の完全制覇まであと10座を残すのみなのだそうです。そのB氏も今日の道中の道すがらにあるワークマンにてシューズを購入して履き替える模様。またオリジナルワークマンランナーのC氏はなんとフルマラソンを2時間40分で走破するスーパー市民ランナーだとのことで、こうした偉大なるランナーの方々と知り合いになれるとは存外の悦びであるとの思いを新たにした凡庸なる私を加えたワークマン三組は、鳥居峠で再び合流し麓の奈良井宿へと足を運んで行きました。


奈良井宿にて(中央が私)。観光客の中ではこのゼッケンは姿は目立つ。
引用元(https://www.youtube.com/watch?v=nk4UOLKy23w)


奈良井宿は古い町並みが非常に観光地化されており、GWも相まって非常に観光客で賑わっています。ちょうどお昼時ということもあり、この地で昼食の摂取を敢行すべし、との思いは三人の胸中の暗黙の了解となったことは言うまでもありません。

しかし、「京都〜日光 570キロ」などと書かれたゼッケンを身に着けた異様なる三人組は残念ながらその光景にはあまり似つかわしいとは言えなかったようで、やおら10人くらいの観光客に取り囲まれ以下のような質問責めに遭うこととなりました。

「そのゼッケンなんですか」
「いつから走っているんですか」
「なんという大会なんですか」
「いつゴールする予定ですか」
「足は痛くないんですか」
「途中寝てるんですか」
「優勝賞金は出るんですか」

「我々は現在飢餓状態にあり、速やかにエネルギーの摂取をせしめん」との内なる心の叫びを私はそっと胸にしまい、彼らの質問ににこやかに、そして丁重なる対応を敢行しておりました。現代はSNS全盛の時代、ここで彼らの質問に対して無碍な対応をしたとあれば、「奈良井宿にはた迷惑な傍若無人ランナー現る」などと身につけているゼッケンとともに世間に晒されることも必定でありましょう。

しかし、およそ10分くらい私が観光客の質問に答えている間に、B氏とC氏は腹ごしらえのために先に走って行ってしまいました。ああ!さすがワークマンアンバサダー。名を捨てて実を取るという言葉もある通り、この先の長い道程を考慮し、世間の体面よりエネルギー摂取を優先するのは当然の帰着であったのでしょう。本大会のために購入した1万円のシューズを惜しげもなく捨て置き、2900円のワークマンのシューズに履き替えるという行為を躊躇した私には、アンバサダーの地位を得るのははるか遠い未来の夢のまた夢と成り果てました。

私はとりあえず近くの出店で名物の五平餅だけを慌てて食し、ようやく姿を表しつつある北アルプスに見守られながら、再度彼らと共に下諏訪の街へと向かって行きました。

(次回に続く)

諏訪湖の夕暮れ。去年同様東の空に浮かぶ満月が美しい。


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