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松尾千鶴のバッドエンド:あるいは幻想の崩壊について

これで最期ね、と彼女は呟いた。

福岡エリアにおける松尾千鶴

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松尾千鶴というアイドルを御存知だろうか。勉強熱心で真面目な性格だが、内心ではアイドルのような可愛い存在に憧れている。隠している本音をうっかり漏らしてしまうことが多く、そのたびに「……ハッ」と我に返っては慌てたり照れたりする。自己肯定感が低く、なかなか自分の本心に素直になれずにいたが、アイドルの仕事や様々な出会いを通して少しずつ変わっていく。松尾千鶴はそんなアイドルである。

しかし、初登場時の松尾千鶴は、現在とは大きく印象が異なる。

2012年9月に実装されたモバマスお仕事エリア「福岡」、そのエリアボスとして松尾千鶴は初登場した(ボスの松尾千鶴なので通称「ボス尾」と呼ばれる)。ライブバトルなど無意味だと言い、渋々といった態度で対決に臨む姿は、それ以前の、あるいはそれ以後のエリアボスと比べても明らかに異質だった。

以下に、福岡エリアでの松尾千鶴の全台詞を引用する。

【第1戦】
対決前「私と対決したいの? そう。まぁ、いいけど。私と戦って、得るものがあるんでしょうかね」
対決時「ふぅん。お先にどうぞ?」
対決後「ふぅん。楽しかったの? それなら、良かったですね。さよなら」

【第2戦】

対決前「またあなた達ですか。私は興味ないんだけど、あなた達が望むならしましょうか。LIVEでの対決」
対決時「また? 別にいいけど」
対決後「はい。おめでとうございます。それの何が不満なの?」

【第3戦】

対決前「別に、あなた達の前に好き好んで出てきているわけじゃないんですけど。やめてよね」
対決時「自意識過剰なのよ」
対決後「あなた達は勝って気分がいい、私はこれが終わる、いいことね」

【第4戦】

対決前「また…。あなた達のように、仲の良いプロデューサーとアイドルって居るのね。…関係ないわね。始めるわ」
対決時「これで、最期ね」
対決後「おめでとう。……もし、私もあなた達みたいな関係だったら…」

第1戦から第3戦までの台詞を眺めると、当時の松尾千鶴がライブに全く興味を持っていなかった、あるいは嫌がっていたことが読み取れる。好きでライブバトルをやっているわけじゃない、早く終わらせてしまいたい、という感情が言葉の節々に現れている。

続く第4戦では、松尾千鶴の口から「あなた達のように、仲の良いプロデューサーとアイドルって居るのね」「もし、私もあなた達みたいな関係だったら…」という台詞を聞くことができる。これらの台詞から察するに、当時の松尾千鶴は担当Pとの関係が上手くいっていなかったのだろう。「最期」は「最後」の誤植と思えなくもないが、そうではなく「このライブを以て自分のアイドル人生を終わらせる」という決意の表れだと取るのは穿ち過ぎだろうか。

もうひとつ注目すべきは、松尾千鶴の象徴的な特徴でもある「本音を漏らしてしまう癖」が、第3戦までは一切出ていないということである。松尾千鶴が本音らしき言葉を始めて零すのは第4戦だが、ここでもまだ松尾千鶴が本音を漏らした時の口癖「…ハッ」は登場しない。この「本音を漏らさない」という部分は、エリアボス時代の松尾千鶴の最も大きな特徴と言える。

ボス尾というバッドエンド

この「ボス尾」は、その後どうなったのか。それについてはっきりと語ることは難しい。

ボス尾の位置付けに関しては松尾Pの間でも「過去説」「未来説」「平行世界説」「タイムループ説」など諸説ある。このような混乱が生じる最大の原因は、松尾千鶴の初期Rカードのアイドルコメントにある。福岡エリアをクリアすると松尾千鶴の初期Rカードを獲得できるのだが、そのアイドルコメントがこれだ。

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「私がアイドル? 冗談はやめてください。芸能界なんて、向いてないです。……あ、アイドル? 私が? アイドル? うそうそスカウト? 私でも可愛くなれる? ハッ……いい大人がからかうの、やめてもらえますか?」

Pが松尾千鶴をスカウトしようと声をかけた際の返答なのだろう。素直に読めば、アイドル経験者の台詞とは思えない。これがもし福岡エリアでの対決を経た後だとしたら、もっと冷めきった反応になるのではないだろうか。また、第一声にして既に「ハッ」が登場している点は注目に値する。

この初期R松尾千鶴がボス尾の「その後」だとは、私にはどうしても思えない。ゆえに私はボス尾過去説に懐疑的だ。「『ボス尾』は私たちのよく知る松尾千鶴の過去の姿ではない」というのが私の見解である(※1)。

過去説を否定するならば、ボス尾は松尾千鶴の未来の姿か、はたまた平行世界の松尾千鶴ということになる。この場合、ボス尾の「その後」は「不明」としか言いようがない。

いずれの説を採るにせよ、重要なのは「ボス尾は公式である」という点に尽きる。松尾千鶴は、プロデューサーとの関係が上手くいかずにボス尾となってしまったのだ。そんな、松尾千鶴にとってひとつの「バッドエンド」とでも言うべき状態が、二次創作ではなく公式設定として描写されたという事実は重大な意味を持つ。少なくとも公式設定として「松尾千鶴がボス尾のような状態に陥る可能性」はゼロではないのだ。

コンテンツの性質上、シンデレラガールズにストーリー分岐という概念はほぼない。また、コンテンツの続く限りは明確な結末が訪れることもない。ゆえに、アイドルの「バッドエンド」が描写されることも、基本的にない。公式で比較的はっきりと「バッドエンドの可能性」を示唆されるアイドルは存在するが(※2)、そのバッドエンドが、公式で、実際の出来事として描写された例を私は知らない。松尾千鶴ただ1人を除いて。

失われた幻想の先で

逆に言えば、ボス尾は私たちの幻想を破壊する存在だ。「シンデレラガールズの世界にはバッドエンドなんて存在しない」という身勝手な幻想を。

ボス尾は私たちに「現実」を突きつける。「この世界」はハッピーエンドで満ち溢れた世界ではなく、シンデレラストーリーは決して万人に与えられるものではない。ある人の行く末に待つのがハッピーエンドかバッドエンドか。そんなことは神のみぞ知る領域である。

そして前述の通り、シンデレラガールズに結末は訪れない。どんなに物語が続こうとも、結末が確定しないのならば、バッドエンドの可能性は常に存在し続ける。

ボス尾は問いかける。あなたは本当に、松尾千鶴をハッピーエンドへ導くことができるか?

「できる」と言い切れる自信は、私にはない。昔に比べたら松尾千鶴は見違えるほど成長しているけれど、それでもかつて相まみえたボス尾が、その可能性が、消えてなくなるわけではない。

でも、きっとできると思いたい。

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「悪い因果ならば、断ち切りましょう。私たちで、力を合わせて!」

2人ならば因果さえも断ち切れると、他ならぬ彼女が言ってくれたから。

私は、彼女を信じたいと思う。

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脚注

※1 ただしこれは松尾千鶴に限った話ではない。序盤のエリアボスは初期Rカードに「ライブバトルを経てヘッドハンティングされた」と読み取れる台詞があるのだが、難波笑美(大阪エリア)辺りからエリアボス時代が明確にスルーされ始める。
※2 自ら余命幾許もないことを仄めかす黒埼ちとせが最も顕著な例だろう。勿論、必ずしも夭逝すなわちバッドエンドというわけではないが。

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