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その22 たった数十ページで

 昔はどっぷり浸りたいから長編を読むのが好きだったけど(誇れるような読書量ではまるでないが)、最近は一息に世界に入り込める短編も面白いなと思うようになった。隙間時間や移動中に一つずつ読めたりするので。
 とは言いつつ、短編集を買っても一編読むと十分満足してしまったり世界観の切り替えに疲れてしまったりしてそのまま放り出しておくことが多い。『年刊日本SF傑作選 プロジェクト:シャーロック』(大森望・日下三蔵編)もお目当てだった『天駆せよ法勝寺』と『ディレイ・エフェクト』を読んだまま本棚に眠っていたのだけど、先日ふと手に取って『ホーリーアイアンメイデン』(伴名練)を何気なく読んでみたら、素晴らしくて打ちのめされた。昭和時代の女性の書簡だけで綴られる短編なのだけど、アイディアも成り行きも面白く、読み終えたときタイトルに戻って脱帽してしまう。良いもの読んだなと恍惚とした。本棚で熟成させておくのも良いなと思った。

 『世界短編傑作集 51番目の密室』(早川書房編集部・編)もいくつか読んだきりほっぽってあったのだけど、先日表題作『51番目の密室』(ロバート・アーサー)を捲ってみたら面白くて、「あれ、犯人この人じゃない⁈」と嬉しくなりながら読んでいたら既読だったと終盤気づいて脱力した……。なぜ覚えていないのか、なぜ終盤まで気づかないのか。まあ再読しても面白いということで……。残りの作品もまた読みたい。
 友人に薦めた井上ひさしの短編集『十二人の手紙』も喜んでもらえて嬉しかった。

 『烙印』(大下宇陀児)もミステリの短編集。大下宇陀児は初めて読んだのだけど、トリックや犯人当てよりも犯人の心情や背景が丹念に描かれていてとても良かった。『凧』と『爪』が特に好きだったな。どの話でも登場人物がどんどん不幸になるので、次こそは幸せになってほしいと願いつつ、ああやっぱりだめだった……と胸が痛くなりながら読んだ。
 あと、最近鳥が好きで鳥の曲をつくりためているのだけど、次は鵜にしようと思っていたらとある作品中に鵜飼いが出てきて驚いた。本や映画に触れる際のこういう偶然のひんやりも好き。

 その合間に読んだ長編『ギャンブラーが多すぎる』(D・E・ウェストレイク)は軽快でひたすら面白くて、電車で吹き出しながら読んだ。訳も分からず連行されとある人物と対峙して死ぬほどびびっている主人公が、


「申し訳ないです」おれは言った。おれの両肩はだんだん丸まって、盛りあがった。ここから出る頃には、たぶん両肩は耳をおおうほど盛りあがり、二度と耳が聞こえなくなるだろう。
 

 みたいな文章がところどころ挟まるので大変。こんなの書けるの凄いな……。
 Twitterなどで「小説が書けない」と悩んでいる人を見かけると、とりあえず片っ端から読んでみたらいいんじゃないかなと不遜にも思うけど、読めば読むほど面白いもの凄まじいものに出会ってとても自分などに書ける気がしなくなるかも、とも思う。わたしも以前物語を書いて投稿していた時期があったけど、どう考えても向いていないと分かって以降は面白いものに出会えるのが本当に嬉しい。勉強しようとか学んでやろうとかいう気も一切なく、ただただ純粋な娯楽で現実逃避で選んで読めるのも幸せ。それでもあとから何かしら学びになっていたり、自分の中に景色が残っていたりするものだけど。

 積み本に先日ウォルター・デ・ラ・メアの短編集『アーモンドの木』も加わった。エドワード・ゴーリーの挿絵で嬉しい。ゴーリーと言えば、あんな作風(大好き)なのに穏やかな人柄だったと先日読んで、やっぱり作品と人格は別物なのじゃないかなと思った。音楽でも作品と作者をリンクさせる向きがあるけれど、そうとも限らないのでは、と思う。

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