コピー文化と失われたアイデンディティについて

実に2か月ぶりにnoteを書きます。

タイトルにある通り、今日はコピー文化によるクオリティUPと引き換えに失われたアイデンティティについて少し語る。
ボカコレ、歌コレを通して感じられたことは、ルーキーなのに非常にレベルが高い人が多い反面、あれ?さっきこの作風に出会ったな、歌い方に出会ったな、思うことが非常に多かった、ということ。

どういうことか。

ボカコレならば、、、
・ジャンルがEDM寄り(これは流行なので構わないが)
・著名ボカロPが作る流行のボカロ曲と曲構成が似ている
 (Dropや多めのブレイクなど)
・初音ミクの調声が何故か同じ
 (一般的なミクさんの声 ※某有名Pさんと同じ声)

歌コレならば、、、
・きっと誰か有名な歌い手と同じ歌い方なんだろう。
・ピッチもタイミングも合っていて音質もよく随所にテクニックはあるのに心に響かない(感情を感じられない)

分かりやすく言うと凄くクオリティは高いのにリピートしたくなる、ファンになりたい!と感じることが意外と少ないということ。

私なりに何故こうなったのか?を考えた。

・リファレンスという名のコピーをしているだけであり自分のものではない
・Tiktokを始めとしてバズってるものをコピーして流行る文化が定着したせいで【パクる】ことに躊躇いがなくなっている。
・YoutubeやSNSで著名人がテクニックを披露している手法をそのままコピーしているだけ。

聞いた瞬間、それはレベルの高いコピーをしているのだから凄い!!となります。ルーキーレベル高っ!!って思います。実際にランクインしている曲、歌も多数ある。

だけど、その曲、あなたはリピートしてますか?

私は1リスナーとして、そのアーティストのファンでありたい。
ファンであるためには、なぜ、その人が好きなのか『理由』が欲しい。
その時、【クオリティが高いから】は理由にはならない。

カレーに例えよう。
色々と調べて、良い肉、良い野菜を揃えカレーを作る。
一般的に広く美味しいとされる『ハウスバーモントカレー中辛』のルーを使う。

ご想像の通り、まあ大体同じ味でしょうね。
コストも掛かるけどいつも食べているカレーとそんなに変わらないので、
同じ食材を揃えてまた作ろうとは思えない。

歌い手Adoさんの凄さは語るまでもないが、全く同じ歌い方で同じ曲をコピーしたら、ただの物真似である。
言うまでもなく、私なら本家を聴きます。
曲、歌を聴かれて『あ!!〇〇さんだ!!!』って初見、かつ名前を隠しても作品だけで誰の作品か、歌唱か、分かるようになれればそれはきっと個性。

最近、耳コピで音作りや構成の勉強をはじめたのでリファレンスの大切さは理解してきましたが、それはあくまでも、自分だけの『ルー』に投入する食材を調達するためであり、同じものを作ろうなどとは思っていません。

分析が好きで、参考動画を探したり、お勧め書籍を漁ったりが多い人ほどその傾向は強く出ているように思う。

もし、あなたが【何者かになろう】としているのであれば
そろそろ分析はやめて探求にシフトし、自分の個性を育ててみてはどうだろうか。

コピー癖が付く前に。



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