「推しの幸せが私の幸せ」になる日まで。
6月5日、18時35分。それは友達からのLINEで知りました。
「推しの生田さんが……」とだけ送られてきたメッセージ。
私は何がなんだかわからずジャニーズウェブを開き、「それ」を確かめました。
「結婚しました」の文字を見たとき、頭が真っ白になりました。
この記事は、生田斗真さんの結婚を受け止められない女が書いています。素直に祝福したい人にとってはおそらく不快な思いをするでしょう。それでも読みたい方はどうぞ。
彼のファンになったのは、昨年の大河ドラマ「いだてん」を観ていたからでした。
生田斗真さんは日本人初のオリンピック選手の1人である三島弥彦さんを演じていました。
振り返れば、私は第1話から三島弥彦という人が気になっていて、第7話でいよいよその「沼」に落ちてしまいました。7話というのは簡単に言えば、彼の弱い部分がドラマの中で初めて垣間見えた回です。普段はとても明るく誰にでも好かれる弥彦にも、家族からの愛に飢え寂しさを感じる時がある。その寂しさに同調して、私は弥彦というキャラクターが好きになり、生田斗真さんのことも好きになっていきました。
そこから1週間もせずに、私は映画「人間失格」のDVDと写真集を買い、ジャニーズウェブのブログをチェックするようになり、ファンクラブにも加入しました。
なので、いつからファンなのかと訊かれれば、おそらくこの第7話直後だと思います。つまりファン歴でいうと、まだ1年ちょっとなのです。
さて、ここからが本題です。
「推しの幸せが私の幸せ」という文言があります。私はずっと、その言葉を信じてきました。
今回のことは、彼にとっては言うまでもなく「幸せ」であるはずです。
じゃあどうして、こんなにショックを受けてしまったんだろう。「推しの幸せは私の幸せ」じゃなかったの?何で素直に祝えないの?何でこんなに苦しいの?
「それ」を見た時から、ずっと胸がモヤモヤして、もう自分でもわけがわからなくなっていました。
理由ならいくらでも出てきます。
お相手の方が私と同い年だったとか、本当に結婚すると思ってなかったとか、俳優一本でも一応ジャニーズなので、その夢を壊さないでほしかったとか、そもそも私自身が結婚に抵抗があるからじゃないのか、等。
どの理由を考えても自分を納得させられませんでした。
ですがただ一つ、思い当たることがありました。
「それ」を見たときに感じたショックは、高校生の時に感じた失恋の痛みとよく似ていたのです。
私が好きだった相手は、担任の先生です。
具体的には高校1年の時の先生でした。2年生以降は理系と文系に分かれ、私は文系のクラスに、先生は数学担当だったので違うクラスの担任になりました。
それまで恋愛とは程遠い人生だったので、それが初恋でした。
先生の姿を見るたび、足音を聞くたび、顔を見るたびドキドキして。今にしてみれば甘酸っぱい思い出です。
付き合いたいなんて思ってなかったし、だから告白する気も、誰に言うつもりもありませんでした。ただ、他の人よりちょっと特別な存在になりたいなと思っていました。
メールしておすすめの映画を教えてもらったり、
修学旅行で行った沖縄で戦争のお話にショックを受けていた私に声をかけて慰めてくれたり、
教室の前を通る時、私をからかいながら歩いていったり。
そんな出来事が積み重なって、もしかすると、特別な存在になれているんじゃないかって思っていました。
そうして、卒業式の日。
卒業証書授与式を終えてそれぞれの教室へ戻り、担任から生徒へ、最後の言葉がありました。
帰り際、先生のクラスにいた友人から、こんなことを言っていたと聞きました。
「俺は子どもいないけど、お前たちのこと本当の子どもだと思ってる」
ああ、そうか、と納得すると同時に、目の前が突然分断されたような、経験したことのないショックを受けました。
私は何を勘違いしていたんだろう。きっと私も、大勢いる子どものうちの一人だったんだ。先生には特別な感情なんてなかったんだ。そりゃあ当然だよな、と。
今まで募らせてきた気持ちの行き場が無くて、その日の夜、誰もいない居間でずっと泣きました。
届くはずもないし、叶うはずもなかった恋に、強制的に終わりを告げられた日。
あれから7年経って、「それでもいい思い出だな」と思えてきたのに。
それなのに。
まさか推しの結婚という出来事でまた同じ思いをするなんて。
そもそも彼のことを「推し」と呼ぶのも、私の中ではちょっと引っかかる部分がありました。
私は最初から「いや私なんかが『推し』と呼ぶのはなんか違うよ…ただの『ファン』だよ『ファン』……」みたいに、一本引いたスタンスでいました。
私は関ジャニ∞のファンでもあるのですが、変な話、関ジャニの誰かが結婚してもここまでショックじゃなかったと思います。それは彼らが紛れもなく「推し」であって「恋愛対象」ではないからです。
特に贔屓にしてる丸山さんが、女優さんとカップルをやってても平気でした。何なら映画「泥棒役者」の高畑充希ちゃんとの共演は世界一可愛いカップルだなと今でも思っています。
でも生田斗真さんに関しては、そうはいきませんでした。
恋人がいる役の映画もドラマも意図的に避けていました。どうしても目に入ってしまう画像もちょっと無理でした。
「失恋のようなショック」
「女と一緒にいるの無理」
以上のことから考えられることはこれしかありません。
「生田斗真さんにガチ恋してたから」
いや私が??ガチ恋??ありえなくね??
って思います。でもガチ恋してたならすべてのことに納得がいく。
推しと呼ぶことに抵抗があったのは最初から無意識に恋愛対象だったから。
彼女がいる役の作品が観れないのも、結婚が受け入れられないのも、男の人として好きだったから。
不可能を排除して残ったものは、おかしいものであっても真実だってシャーロックホームズも言ってた。
ただの「推し」ではなく「恋」だと自覚すれば、胸のモヤモヤも少しは晴れてくる。
でも、正直今までと同じように活動を追えるかと訊かれれば、はいとは答えられない。
先生のように、生田斗真さんを好きでいた時間を「いい思い出」としてしまっておくには、まだまだ時間がかかるでしょう。1週間経ってもまだ名前を見かけるのもつらいんですよ。もはやここまでくると笑える。映像を見れるのはいつになるやら。
それでも心から「ご結婚おめでとうございます」が言えるようになるまで見続けていたい。好きでいたい。だって、本当にかっこいい人なんですよ。
今回、推しの結婚がなぜショックなのかを言葉にしておきたくて、突発的にnoteを始めて、使い方もよくわからないまま投稿しています。これからも更新していく気は特にありません。心境の変化があったらまた書きに来ます。
それでは。読んで頂きありがとうございました!
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