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アラフィフおかんが行く語学留学inマルタ/計画編③

留学すると決めて、留学先を決めた→留学時期を決めた→エージェントも決めた→家族にも伝えた→航空券を買った→留学費も払った→留学先でどんな生活を送るかの妄想は日々しまくっている、でもまだまだやることはたくさん。出国まであと1か月。

義理の両親に報告ができていない

実の親には報告はしたものの、そこでまさかの大反対を受けました。「行くとしてもコロナが収まってからにしなさい」というごもっともな意見。返す言葉もないんだけど、終息するのを待っていたら、おばさんの私はおばあさんになってしまう…ということで、親の意見を聞かずに行くことを決意しました。

ただ、私には夫がおり、夫の両親もいます。昭和を生き抜いた義理の両親に私の夢・気持ちはちゃんと伝わるのだろうか?


(妄想気味な)私の想像では、

(私)実は留学しようと思ってるんです(←もう決まってるけど)
(義理親)は?何言ってるの?留学ってあなたがしてどうするの?うちの息子(旦那のこと)は?孫たち(私の子)はどうするの?
(私)これからは自分でやってもらおうと思って。
(義理親)あの子たちは許したの?
(私)はい。いいよって言ってくれました。
(義理親)理解のある夫であなたは幸せね。(←我が子がかわいそうだわ)


と、なるような気がしていて言えない。でも言わなきゃと思いながら、出国日の1か月を切ってしまいました。どういう言い方をすれば、「いいじゃない!あなたの人生だものね、楽しんできなさい」と言ってもらえるのか思いつかない。マジやばい。ということで、これはやらなきゃと思いながら、できずに月日が経ってしまっている私の大きな宿題です。



楽しかった会社を辞める

義理の両親には言えてないけど、会社にはちゃんと言いました。5月出国に向け、3月末で会社を退社。私はこの会社が大好きで、とっても楽しく働いていました。令和の時代には珍しいくらい人懐っこくて、ピュアで、みんな仲が良くて、なんだか温かい職場でした。退社することを伝えた頃は、まだマルタに行くことに頭がいっぱいで「留学する=この会社に行けなくなる」ということがわかっていませんでした。

仕事の最終日、お花やプレゼントをたくさんいただいて、みんなからの愛を感じて、改めて私は楽しく働けていたんだと実感。この職場とのお別れは寂しい。あれ?楽しく働けているこの環境を捨てて私は旅立つんだ。



マルタに持っていくものを買い始める

ここのところ、マルタに持っていくものを買いあさっています。ググったり、海外で暮らしたことのある友達とかに聞いたりすると、日本だったら100円均一で買えるものがヨーロッパでは高いみたいです。それとうちに来た留学生が喜んでいた日本製品を持っていきたいなと思っています。

留学生が喜んでいたもの
・湿布、熱冷シート
・アニメのTシャツ、スリッパ
・カレンダー
・肌着、靴下

あれ?このくらいしか思いつかないけど、これは日本のクオリティに喜んでいた印象があります。ほかにもSフックとか突っ張り棒とかクイックルワイパーとか洗濯ネットとか猫のブラシとか、これ使うのか?でもマルタにないかもしれない、と思われるものをひたすらスーツケースに入れています。スーツケース2つで行こうと思っているけど、全然入りきる自身がない。前途多難。


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