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月のないお月見と、塩気のない月餅

月を眺めてぼーっとするのは好きだ。脈絡なく空を見上げるのはいつものことだが「行事としてのお月見」の記憶をたどると子ども時代にまで遡ってしまう。

幼児期から10代前半まで香港で過ごした私にとってお月見といえば「中秋節」、香港中の公園が色とりどりのランタンや電飾で飾り付けられる華やかなお祭り。特に香港最大規模の公園であるヴィクトリアパークの賑やかさと言ったらテーマパークのようで、親に買ってもらった電池式で光るカチューシャを身につけ目を輝かせながら歩いたものだ。

古くは月を愛でる行事だった中秋節。
元はと言えば「お月見」行事のはずだが、中秋節をめぐる人工的な光の記憶はあふれるほどあっても「月」そのものの記憶はない。お月見とは。

(帰国後に大阪や新宿のビル街でさえ空が広いと感じたぐらいの香港である。月の記憶がないのは物理的な理由もあるだろう。)


「月」は覚えていないが「月餅」は覚えている。
中秋節の贈答用菓子は、どこからかうちにも贈られてきていた。蓮の実餡にアヒルの塩漬け卵黄が入った伝統的な広東式月餅だった。

伝統的な月餅は、子ども時代の私の口には合わなかったように記憶している。甘い餡に塩っぱい卵が入っているのに違和感があったし、卵黄のモソモソした食感も食べていて喉が乾く。
蓮の実餡は好きだったから、いつも切り分けた月餅の卵黄をほじくり出して周りの餡と皮ばかり食べていた。


そんなことを思い出していたら、なんだか食べたくなってしまった。
買いに行こう。


いま住んでいるアメリカにお月見文化はないそうで、普通の現地スーパーにて特段「月」にフォーカスした商品は見つからない。

中華系スーパーならばと足を運んでみれば、予想どおり月餅が山と積まれている。缶入りの輸入品、香港や台湾から運ばれてきた月餅を横目にスーパー内のベーカリーに向かう。

ベーカリーには色とりどりの月餅が並んでいた。
抹茶、栗、マンゴー。マルベリー(桑の実)なんていうものもある。目移りしてしまう。

中国語(普通語)で話しかけてくる店員さんに「Sorry, I can't speak Chinese.」と答えつつ、ひとつひとつ商品名を見ていく。

あった。

LOTUS EGG YOLK MOON CAKE
蓮蓉金沙月餅

伝統的な月餅だ。

子どもの頃食べた月餅は最も小さいものでも大人の手のひらサイズはあったが、ここには直径が半分ほどの5cmサイズが並んでいる。
これはいい。大きいと甘くて食べきれないもの。このサイズが一番多く並んでいたから、これが売れ筋なのかな。


コーヒーを入れておやつにする。

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割ってみれば、ちゃんと中に卵黄が入っている。

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この味、懐かしい。相変わらず塩っぱくて黄身はパサついていたけれど、それが不思議と甘い餡に調和していて美味しかった。子どものときに苦手だったものと同じ種類の月餅なのに。

私が大人になったのか、月餅がこっそりと進化したのか。

がっつりと進化した月餅も買った。カラフルなライチ味とバナナ味。
1990年代の香港にもすでに存在していたのかもしれないが、私は食べたことがない。

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ライチとバナナの月餅はただひたすらに甘かった。ねっちりと甘い餡が詰まった月餅は、よくある饅頭といえばそんな味わいで、我が子も美味しい美味しいと違和感を訴えることなく食べた。塩漬け卵が入った月餅とは食感も味も別モノ。別モノではあるが紛れもなく月餅で、伝統的な月餅と共に、その名を背負っている。

しなやかだなぁ。
月見を放棄した「お祭り」も、進化する「月餅」も。


そのしなやかさは、利用され翻弄されてきた香港の歴史が育んだ性質かもしれないけれど。イギリスに、日本に、中国に、翻弄されてきた香港。大きなうねりの中で、前向きに変化し続けることで進化してきた香港。
香港の人が、しなやかで伸びやかであり続けられることを心から願う。



私の母は海外在住でも日本の文化に触れさせようと毎年頑張って日本の月見団子を作ってくれていたけれど、私が自分の子に食べさせた「初お月見スイーツ」は日本のものでもアメリカのものでもない月餅になってしまった。

まぁいいか。



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