お母さんとお父さんのたくらみ #わたしの食のレガーレ
その焼肉屋は駅から徒歩数分、住宅や店舗が入り混じる雑多な通りの一角にあった。
夫が運転する車を近くのコインパーキングに止めて店まで歩き、私は半年ぶりに暖簾をくぐる。腕の中には生後5ヶ月の赤子。
出会ったのはもう何年も前。
お気に入りの焼肉屋さんがあるんです、えっとね、安くて、美味しくて、お店のお父さんとお母さんの人柄がいいんです。会社の後輩が熱心にすすめてくれたその店に、一緒に食べに行ったのが始まりだった。
お世辞にも綺麗とは言えない店構え、こぢんまりとした店内はタタキを上がってすぐ一面の畳敷き、焼肉コンロが埋め込まれた長テーブルが並べられ、色あせたポスターと茶色く変色したお品書きが油分で黒ずんだ壁にベタベタと貼ってあるような昔ながらのごく普通の焼肉屋。
普通ではなかったのは肉。採算が取れるのか心配になるほどにリーズナブルで、それでいて、チェーンの焼肉屋の3倍はありそうな厚みの、噛むとジュワッと肉汁が染み出すような美味しい美味しいお肉が提供される。
そして、さらに普通ではなかったのが店主と女将。初めましての客の心にもすっと入り込み、あっという間に仲良くなってしまう。私は年配の方の呼称に「お父さん/お母さん」は使わない主義なのだが、ここの店主と女将だけはなぜか自然と「お父さん」「お母さん」と呼びたくなる。不思議な魅力のあるふたりなのだ。
飄々としたお父さんはだいたいいつも厨房にいるが、お母さんは神出鬼没。忙しく働いているかと思えば、いつの間にか横にいる。お会計お願いしまーす、と呼ぶと隣のテーブルの一団から「あ、はいはーい」とお母さんが出てくる。すぐにお客と混じって焼肉を囲むが(一緒にお肉は食べないけれど)それが嫌じゃない、絶妙な心理的距離を保ちつづける。距離感をはかりつつ、行けると踏めばグイグイ入ってくる。
お父さんも、お客が少ないときは厨房から出て畳の間にくる。そしてみんなで一緒にテレビをみる。日曜の夜はいつも『鉄腕DASH』からの『世界の果てまでイッテQ!』。
後輩に連れていってもらったあの日から私は、なんどもなんども、この店に通った。
ある年の春、私は子どもを産んだ。
出産の少し前、夫婦2人でここに来れるのは最後だろうなーとぼやく、すっかりお腹が大きくなった私に焼肉屋のお母さんが言った。
「赤ちゃん生まれたら、うぅんと小さいうちに連れてきてね。約束よ。うぅぅんと小さいうちに。」
連れてくね、約束ね、と私は返したはずだった。
いざ子どもが生まれるとためらってしまう。不安だったのだ。
焼肉屋に生後すぐの赤ん坊を連れていくのが果たして正しいことなのか。
育児本にある「生後6ヶ月未満の赤ちゃんは遠出を避けて」、育児情報メディアで紹介される先輩ママのコメント「うちは赤ちゃんを飲食店には連れて行きません。危ないし、病気も心配。」「小さい赤ちゃんを連れて外食をしている人を見ると常識外れだと思う。」
氾濫する神経質な言葉。
近くに親類も知り合いもおらず孤独に育児をしていた私は、育児情報に囲まれて身をきゅーっと縮こまらせていた。出産前の快活でフットワークが軽かった私はどこかへ行き、子どもと共にずっと家に閉じこもっていた。
約束のうぅんと小さい頃、1歳手前までなら有効だろうか。
そんな折、我が家の引っ越しが決まった。
引っ越し先は遠方。
お父さんとお母さんに会いたいな。
恐る恐る夫に焼肉屋に行きたい旨を伝えると、夫は、いいね行こう、と全面的に賛成してくれた。
子どもの生活リズムに影響しないよう、開店時間の17時に着くように家を出た。
お父さんとお母さんの歓迎っぷりといったらなかった。
「もう、けっこう大きくなっちゃってるじゃない。もっともっと、うぅぅんと小さいときに連れてきてって言ったのに。」
口を尖らせるお母さんと、ひたすらにこにこ笑顔のお父さん。ふたりともまるで初孫を見るかのように子をあやし、かわいいねぇ、かわいいねぇと目を細めていた。
そしてお母さんが私に言った。
「さ、私が赤ちゃんと遊んでるから。お肉食べてね。」
そのときのお肉の味は忘れない。
育児マシーンになっていた私が、人間に戻った瞬間の味。
きゅーっと縮こまっていた私が、ふわっとほぐれた瞬間の味。
お父さんとお母さんは、最初からそのつもりで「うぅんと小さいうちに」って言ってくれていたのかな。
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「 #わたしの食のレガーレ 」コンテスト応募作品です。
舞台となるお店は埼玉県のとある焼肉屋。
お父さんとお母さんはインターネットに疎いだろうからこの文章を読まないだろうけれど、今の私の気持ちをしたためておく。
お父さんとお母さん、私はあのあとさらに3回引っ越して、今はカリフォルニアに住んでいます。
日本に帰ったらまた行くね。
私はあなたたちのお店と、あなたたちが大好きです。
♡を押すと小動物が出ます。