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漕ぎ出そう、湾の外へ

街だと思っていたものはいつのまにか消え失せていて、目の前には砂浜が広がっている。砂浜は湾になっていて、大きく弧を描いている。海を囲む湾の端と端には壁のような岩がそびえ立ち、見通しが悪い。湾の出口の左右の壁のせいで、海が小さく切り取られたように見える。

波打ち際にボートを浮かべる。湾の外、広い海に漕ぎ出して、同じように海を探索するボートと肩を並べて進むため。そして、自分の知らないどこかの地に住む人と出会うため。

湾の先に見える狭い海には大型船が浮かぶ。なんだか輝いていて、小綺麗にしていて、大型船の周りには出入りするボートが忙しそうに駆け回っている。そして砂浜に設置されたスピーカーから頻繁に「あの!大型船に!乗りたいかー!」と声が流れてくる。

湾を進む私のボートが揺れる。砂浜から大型船に向かって海流ができていて、その海流が作り出す波が私のボートにまで打ち寄せてくるのだ。大型船に出入りする権利を得ようと躍起になって沖に出る、ボートの群れが作り出す海流。ぎゅうぎゅうに詰まったボートたちが大型船の方だけを向いて漕いでいる。流れの脇にはぎっしりと小型船たちが群がって、大型船に乗るための方法を説いたり、大型船が大陸に運ぶ商品を賞賛したりしている。

画一的な流れに揉まれて難破したボートと小型船の残骸が、たくさん、波の間をたゆたっている。

想像していた海と違うなぁ。


一年前はまだ「学問の府なのか、就職予備校なのか」とnoteの街を大学に喩えて「どっちなんだろう」と問う余地があったみたいね。私はもう、大学どころか街さえも見えなくなっちゃった。ここには創作という無限に広いはずの海を、商業的成功という狭い視野で切り取る砂浜があるだけ。


でも、航海のコツを私は掴んだ。

大型船に憧れる人が、私にアドバイスをくれたことがあってね。要約すると、心が不安定な書き手とは距離を置いて活動したほうがいいんじゃないか、そんな内容だった。リスクになりうる人を置いていけば商業的な成功もできるだろうに、って。私はそれで心を決めたんだ。心を決めるだけで、ボートはだいぶ操りやすくなった。

怒らない、文句を言わない、広く好まれる当たり障りのない創作。固定された世界を維持し続けるだけの創作。それを是とし「怒り」を否とする人は、奴隷制度からの解放を願ったアフリカ系アメリカ人や、参政権を勝ち取るべく奔走した世界各国の女性、怒りを原動力に世界を変えてきた先人たちのことをどう考えているのだろう。

申し訳ないけれど、いまの「商業」は創作に枷をはめる存在にしか見えない。リスクはあるだろうけれど、私は枷のない、自由な創作をする人たちを選ぶよ。心に枷をはめるなかれ。

大半が大型船の方ばっかり向いているこの海で、私はあくまでも湾の外に目を向ける。大型船に乗せなくったって、別の大陸に届けに行くことができる。それこそがインターネットで表現する醍醐味じゃないか。私はそれを実感しながらここまで航海してきたんだ。だからまだここでやる。

大型船を目指す人もがんばって!それはそれで、そこからしか見えないキラキラとした景色があるだろうから。変な小型船に燃油を抜かれないようくれぐれも気をつけてね。波に揉まれてボートが壊れちゃったら呼んで。引き上げに行くから。それから、しばらく岩を眺めたり砂浜に打ち寄せられる何かのカケラを拾ったりして休んで、湾の外側の、波の届かないところでボートを暴走させて遊ぼう。


最後に、noteさん8周年おめでとうございます。
権威付けや商業利用のための創作を奨励する空気を感じるたびに、バーナード・ショーとサルトルの、ノーベル文学賞辞退を表明した際の言葉を思い出す今日この頃です。

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