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心をまもるのが第一だよ

私が学校に通っていた頃、ある一年が凶悪事件により吹き飛んだ。
何ヶ月もマスコミが生活圏に張り付いて、文化祭が無くなって、ニュースではしたり顔の識者が知ったようなことをテキトーに並べ立てていて、私たちの日常は私たちの手を離れて、なんだか歯車が狂ってしまったようだった。

そのときに私は自分の心を守れなくて、受けた傷をずいぶん長く引きずって、いまだに少しトラウマが残っている。

でも皮肉なことに、あのとき心に大怪我をしたせいか、いまとても心の受け身が上手なんだ。当時やらなきゃよかったなぁと思っていることが何個かあって、それは今の私の心を守ってくれているから3つだけ共有します。


精神の回復方法は人と違っていい

心を回復させるやり方は人によって違うことを強く意識すること。

当時、文化祭を予定通り実行するか中止にするか「こういうときだからこそ普段通りに振る舞いたい」派と「そんな気分にはなれない/マスコミが怖いからやりたくない」派が激しく対立した。
文化祭はイベントだから実行か中止かは決めなくてはいけなくて、そのときは中止にしたのだけれど。
できるならば、それぞれがしたいように過ごせたらよかったと思う。
シーンとした雰囲気の中で、いつもどおり振る舞いたかった人は辛かったんじゃないかな。

ここ最近のnoteで言うと、私は私設企画に参加したり気の赴くままに好きなことを書いたりしているけれど、弱音を吐いたり、知識を共有したり、まったく書かず読まず過ごしたり、それは各自の自由だ。
いつもどおり振る舞ってもいいし、いつもどおりじゃない、らしくないことをしてもいい。

誰かの元気を保つ方法が、あなたにとっていいとは限らない。
誰かがこうやっているから、と引きずられるのはあなたの心を見失うことだ。

耳をふさいでいい

心が蝕まれていると感じるときに、人の言葉を耳に入れるのは毒となる。
非常時は特にそうだ。

「私、すごい事件に巻き込まれちゃった。」と他校の友人に興奮気味に話す子の浮ついている感じや、文化祭を中止にするか否かでもめていたとき「これはちゃんと記録を取るべきだ。後世の役に立つ。」と研究対象でも見るかのような目をしていた先生の態度に無性に腹が立った。

弱っているときは勝手に傷ついちゃうんだ。しょうがない。
温度感が違う人との交流を一時的に絶ってもいいと思う。

楽しそうにヘラヘラnoteやTwitterで遊んでいる今の私の様子に傷つく人もいると思っているよ。
フォロー解除、ミュートやブロックも自由だから、我慢はしないでね。

当時、一番ダメだったのはニュースやワイドショーを見ること。
無責任な物言いが胸と頭を撃ち抜いてくる。彼らは専門家だって言うけどさ。ここぞとばかりに持論を披露しているだけじゃないか。
私はテレビを消したかったのだけれど、親がテレビっ子で、私が泣いて懇願しても自室にまで響く大音量のテレビを消してくれなかった。おかげで心に深く深く傷がついた。

情報を取らない選択肢があるなら本当に見ないほうがいい。
テレビだけじゃなくて、ここ、noteの記事も。
心が元気なときだけ摂取するので充分。
どんな非常時でも、自分にとって本当に必要な情報はそんなにない。

同じ立場の人同士でいたわりあうこと

当時、私は文化祭の実行委員で、タイムリミットが1週間しかない中で学内外の調整をしなければいけなかった。事件が起こったのはちょうど文化祭の1ヶ月前。委員は日が暮れるまで学校で会議して手を動かして、学校が閉まったあとはファミレスなどで作業を続けた。未成年なのに帰宅は夜11時とかだった。心的疲労が辛くて家の玄関で倒れるように寝た。

精神的に限界でも実行委員だから動かなきゃいけなくて、みんな責任感でなんとか動いていたけれど、同じ苦労をしている者同士でもっとお互いいたわりあってもよかったな、って思う。
親も先生も、委員以外の友達も、部外者には深いレベルで辛さを共有することができなかったから。

同じ立場の人が身近にいるのなら、たくさん弱音を吐いて、めいっぱい、いたわりあおう。



このへんにしとく。
あんまりたくさん羅列すると書くのも読むのもしんどいし。

とにかく言いたいのは。

なによりも先に、自分の心を守るのを優先して生きてください。

なんだかよくわからないけれど、行動しなきゃ、と責任感に駆られている人は特に。

♡を押すと小動物が出ます。