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夜のダイニングから旅に出る #夜更けのおつまみ

夕飯を食べて、お風呂に入って、洗濯物を干して、すぐに布団に入って、おやすみと言いあって寝てしまうのが常だけれど、趣の違う夜もある。
夕飯を食べて、お風呂に入って、洗濯物を干して、冷蔵庫のドアを開けて、今日どれ飲む?と微笑みあって、缶ビールを取り出してカシュっとやる夜がある。

そんな夜には、冷蔵庫に転がっている食材を引っ張り出す。


豚バラ肉を四等分して、フライパンでジリジリ焼いて、カリカリの焦げ目をつける夜。

主役は瀬戸内、直島の塩。

島に点在する芸術作品を借りた自転車で巡った。宿のレンタサイクルだから電動アシストなどない、少し錆びついたいわゆるママチャリだ。
甘いものよりも塩気が欲しくなるような暑い日で、私たちはカフェに入り塩むすびを頼んだ。
ころんと丸いおむすびにまぶされていたじんわり優しい塩。
お会計のとき、レジ横に置かれていた塩を迷わず手に取り購入した。

ジュワジュワに焼きあがった豚バラ肉にサラッと塩をふる。脂に塩が溶ける、ジュワリ。


エイヒレをアルミホイルに転がして、グリルにつっこみ、ぶわっと香りが立つまで炙る夜。

主役は栃木のお蕎麦屋さんの七味唐辛子。

関西で育った私たちは、醤油が濃いうどんつゆにぼんやり漂う、フニャフニャと頼りない麺を蕎麦だと思っていた。
関東に引っ越してきて驚いた。キリッとしょっぱい真っ黒のつゆに、キリッと引き締まったコシのある麺。蕎麦とはこんなに男前な食べ物だったのか。
それ以来、蕎麦を見直した。蕎麦がきも蕎麦湯も好き。
ふらりと立ち寄った蕎麦屋さんに置かれていたのは自家製の七味唐辛子。陳皮が入った七味唐辛子の香りにつられ、大袋で買ってしまった。

熱々にそり返った先っちょの焦げたエイヒレ、その脇にマヨネーズをしぼり七味唐辛子をパラリ。


輸入食品屋さんで買った生ハムを開封し、ビニール包装をそのままお皿にしてしまう夜。

主役はカンボジアの黒胡椒。

電動のレンタルバイクにまたがり鼻歌ふんふん気ままなアンコールワット遺跡巡り。観光を終え、シェムリアップ市街に戻った私たちを待っていたのは道路を埋め尽くすバイクの群れ。
交通ルール無用の濁流をひたすら右折(カンボジアは右側通行)で命からがら泳ぎきり、事故なく怪我なくバイクをお店に返却できて顔を見合わせて安堵した。
一日の締めにレストランで食べた川魚には、緑色をした艶やかな生胡椒が添えられていた。
添えられていた?むしろ生胡椒がメインだ。
プチプチした愉快な食感と華やかにはじける爽やかな辛味。
スーパーマーケットで生胡椒は見つからなかったけれど、代わりに黒胡椒をしこたま買ってスーツケースにつめこんだ。

無造作に開けたビニール包装の上、気取らない姿の生ハム。黒胡椒をミルで挽く。鼻をくすぐる心地よい刺激、ガリガリ。


消費期限が今日、近所のスーパーで投げ売りされていたブリーチーズをお皿に盛りつける夜。

主役はマルタ、ゴゾ島のハチミツ。

カラフルな伝統漁船がひしめきあう漁村マルサシュロック。日曜朝市には野菜や魚、お土産品の店。ずらりと並ぶハチミツの瓶が朝日を燦然と浴びて輝いていた。
市場、スーパー、お土産屋さん、それぞれで買ったハチミツたちは、三者三様、味が違う。
マルタの蜂は自由なのだ。管理されない彼女らは気ままに野花の蜜を集める。どの花の蜜を集めるかは蜂の気分次第。ハチミツの味は偶然の産物。
多種多様な花の蜜が絡みあった、それでいて肩の力が抜けた甘さ。

小洒落たお皿に行儀よく鎮座したブリーチーズ。スプーンですくったハチミツで端正な佇まいに遊び心を加える。金色のトロミ。甘美なトロミ。


食材を彩るのは私たちの旅の記憶。
旅先から持ち帰った調味料が、日本のどこか、世界のどこかに繋げてくれる。
ダイニングのおつまみが、重ねてきた時間に、歩んできた足跡に繋がっていく。
ビールをひとくち。ゴクッ。


冷蔵庫にせせりがある。
今宵は、どの旅を主役に据えようか。

♡を押すと小動物が出ます。