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ごめんよ、わたしテキトーだ #シェアめぐり

あおやぎわかこさんの企画に参加します。

といっても、あきらとさんに指名されたから書く、という消極的な参加なのですが……。

ちなみに、ぼくが頼りにしているシェア手のみなさま、よろしければあなたの #シェめぐり 教えてください!
(あ、本当に忙しくなければ…よろしければ…ね…? 嬉しいな〜読めると…)

(なんだよ #シェめぐり って。)
かっこいいことは書けないよう。
だって、みんなみたいな立派なシェア基準を持ってない。「帯」なんて言える素敵な言葉はつけていない。

シェア哲学のない私のシェアは、基本的に「あいさつ」。
コミュニケーションのきっかけとしてシェアを使っています。

滅多に初めましての方のnoteをシェアすることはありません。それは仲良し/仲良しじゃない、を切り分けているわけじゃなくて、単にズボラだから……。ほら、気安く話せる人とイチャイチャするのって楽じゃん……。
(普段交流の少ない方のnoteをシェアしてるときは「話しかけたいな」と思って勇気を出してシェアした結果です笑)
(返事が返ってこないこともあるけれど、それはその方とのシェア哲学の違いなので凹まない。)

1日にシェアするnoteは多くて3、4個。
自分のnoteを書いてそれがたくさんシェアしていただけると、それだけでたくさんやりとりが発生するので自分から他の方のnoteをシェアする余裕がない日も多々あり……。

だから自然と真っ先に話しかけたい人、つまり、自分の記事を引用していただいたnote、自分の企画や関係する企画に乗ってくれた人のnote、企画の告知note、あたりを優先してシェアしがち。
シェアするnoteが偏っている自覚あり。


ご参考までに直近のシェア例。


「書いてくれて嬉しかった!」を伝える

「すごい……」を伝える

「ここが面白かった!」を伝える

ツッコミ

と、まぁ、こう言うテキトーなシェア内容なのですが、私のシェアツイートに「いいね」がついて、そのあと誰かが読みに行ってくれた形跡があると嬉しくなっちゃいます。
(私のシェアに「いいね」がつく→いいねつけてくれた人が直後にそのnoteに対する帯を上げる)

人と人との言葉のやりとりって、単純にそれだけで面白いものなんですよね。だからあまり凝った帯は付けません。
と、自分の行為を正当化するシェア哲学のない私。

あ、帯でネタバラシはしないようにできるだけ気をつけています。
これはオチを先に言われると残念な気持ちになる関西人気質からくるものかもしれません。


以上、私のシェアは「コミュニケーションのきっかけとしてのシェア」でした。
たまにはじっくり考えて帯をつけることもあるけれど、ほとんどがこのパターンです。

シェアがきっかけで仲良くなった人はやっぱり多いので、コミュニケーションのとっかかりとして使うのおすすめです。

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