見出し画像

ねぇ、どうでもいい話をしよう?

 スマートフォンを自分が持ち始めてからどのくらいたったんだっけ?スマホがなかったころに暗記していたメールアドレスや電話番号や「明日あの人に会えたらいいのに。予定が分かんなくてつらい。」みたいな寄る辺ない気持ちはどこへ消えていったんだろう。いつしか私は記憶のすべてをスマホに頼り、なんなら音楽から映像からnote記事から娯楽の全てもスマホで享受をするか予約にスマホを使っていたり。大丈夫かな、自分。そう思ってデジタルデトックスをしてみたことがあるけれど1日半が最長記録。まずいんだよなぁと思っている最近です。

 ハローハロー私は愛知県に住んで小学校の頃に日記を先生に褒められて嬉しかったのが文章を書く喜びという名の原体験を持つ独身30代。みんな元気?まぁ、同級生や元同僚はこのnote記事を読んではいないと思うけれど、SNSに依存してなきゃやってられないほど恋愛不足な私です。
 でもさ、ネットの世界にも愛すべき人々はたくさんいて、そりゃあリアルの世界にもいますが、リアルに生きるかネットに生きるかで言ったらネットに生きる方が居心地がいいあたり現代っ子だなぁという自己評価です。はるか20代という大海原よりも以前の10代のラストを映画学校の学生として過ごした自分が気づいたことがあって。人々は、というか私はかもしれないけれど、「人々はドラマチックに生きられなくなった」ように思います。だって、現代はスマートフォンがあるから人と人とがすれ違えなくなっていて、幸せの黄色いハンカチ(さすがに古すぎか…。)みたいなユニークな合図というものが無くなったと感じるし、冒頭のスマホに記憶できるものは全て効率的に記憶をさせておくことができるので、物忘れでとんでもないことになるような局面でスマホを頼ればいいじゃないとなることとか、モールス信号で連絡をせざるを得ない状況というのがひどく限られていることとか、要するに効率的な現代で人々は器用になりすぎた問題があるんじゃないかと。
 今回本当に書きたいのは今の例ではなくってココ。
「どうでもいい会話が時代の進歩とともにできなくなってないか?」
 という大問題です。私はこれ大問題だと思う。どういうことかというと、どうでもいい話たちは、「電話してくんな、そんなどうでもいい話はメールで済ませろ」という意見ないし無言の圧にかき消されていたり、メールをいざ打つ時は「何月何時にどこどこで会おう?→いいよ(スタンプ)」という便利ツールでかき消されて、例えば「この前風邪ひいてなかった?俺も最近鼻水止まんない」みたいな至極どうでもいい話たちが省略されてしまっているように思うんです。
 もちろんリアルで会えば私もバカ話をするし、水道の蛇口から何のジュースが出てきたら面白いと思う?という議題をメール上で交わしたいわけではない。でもすっごくくだらない話から、「え!あの映画見てんの俺ぐらいだと思ってた!!マジで気が合うじゃんウチら!」みたいなことにつながるのってすごく大切だと思うんですよ。それがあるから音声配信はやめられない自分がいるし、大切に思っている(アカウント消す癖があるけど…)私です。なんかさ、スマホの便利さの影で消えていったものっていっぱいあって、きっと私を含むみんながノスタルジックに感じる風物って不便なものばかりだと思うんですよね。
 公衆電話で帰りの時間を聞くついでに子どもの担任の先生の愚痴をこっそりするお母さんとか、娯楽がなさ過ぎて夏休みの課題の工作のおもちゃがクラス中で人気になってた小学生とか、あの駄菓子屋ではぜったい食品は買っちゃだめだ!何故なら古いからという実話とか、やばいお腹痛い!と思ったら家や家族の電話番号を暗記していてすぐに連絡を取るのに不自由しないこととか。CDにはいくら音楽を焼き付けても13曲ぐらいしか入らなくって特別人気になる焼き増しCDがあったこととか。
 時代はどんどん進歩していく。こんな感傷的な私を置いてうらめしいほどに。イライラするぐらい決まらない就職も、遠く離れた家族にわざわざ愚痴のために電話したくはないし、メールで済む話じゃなかったり。私の本質ってこういう所にあるのかなぁと思っても、本質がどうだろうと効率的になってる今の仕事たちは受け付けてくれないスペックの低い私。ちょっとだけ思うのは、時代は勇気をもって文明の進化を進めるんじゃなくって後退してもいいんじゃないかということ。
 ロボットやAIに仕事を取られるのがいよいよ現実化してきているのもあるし、なにより、くだらない話が気楽にできる社会であってほしい!欲しいものはスピリチュアルの核心をつかんで高次元の魂になることじゃないし、世の中のネガティブな事象を臭いものに蓋をせずそれこそありのままに素直に受け止められる私でいたいし、私もやがて老いて古いAIの知識しか持っていない頑固ジジィにはなりたくないし、無理にポジティブに考えるんじゃなくってもっともっと自然に、くだらない話からつながる大切な世の中の本質を語れるような日々がやってきたら嬉しいのになぁ。
 別に彼女が欲しいとかそういう話ではないんだ。それもちょっとあるけどでも違うんだ。
 「時代は個の時代になった」とか「みんなちがってみんないい」とかじゃなくって、SDGsとか新しい価値観を増やしていく作業だけじゃなくって、今の世界を悠々と渡れるのがAIとAIを操る人間だけにならないように、みんなちがってみんないいというのなら性に関して差別的なステレオタイプの価値観も受け入れるべきなんじゃないの?とか、個の時代になったからって家にばっかりいないで何を自分が任されるかも分からない近所のお祭りの準備にフラッと寄ってみるような余白の時間というか、持続的な発展可能な17の目標とかじゃなくって持続するのは不可能な医療や保険の体制を公表することだとか、自然の脅威ともっと上手くやっていく話を家族や友人レベルでみんなできていることだとか。大切なことってどうでもいい話が、くだらない話ができた上で平和的な解決とか友好的な関係性とかにつながると思うんだ。
 日本ではもうすぐ東京都知事選挙が始まる。テレビが我が家には無いから分からないけれど、おそらくテレビは蓮舫vs小池プラス変なポスターのエトセトラという感じでプロパガンダをしていると思う。2者択一ですよね?と誘導する感じでそんな世界でも頑張っている石丸候補という感じではなかろうか?誰を応援しているかは書かないけれど、本当に素晴らしい市民目線の立候補者、マニフェストを持つ人は支持をそもそも得られない人だったりってこともあると思う。個人的にはテレビが流行らなくなったのに比例して投票率って下がっているんじゃないかと思っていたり。そして、あの人がいいと思う、この人がいいと思う、この人は怪しい、みたいな本質的な会話に至れないように、くだらない話がめんどくさくなるように世の中仕組まれちゃいないか?と思っていたり。
 ちょっと政治的な話は苦手(自分で書いといてなんだよってノリツッコミはカッコ書きにしときます)なのでココでひとつ詩をはさみます。

 夜の街に火薬の匂い

 ビニールプールのこすれる音、真水、飛沫

 予定してたわけでもないのに

 同級生と会えるだろうと

 夏の暑さにスイカの緑の所のすえた匂い

 いつ使うか分からない蛍光ブレスレット

 冷凍すればまた光るって

 それを知っている子が天才だった

 くだらないことはくだらなくなんかなかった

 薄いサンダルに親指が感じてる砂利の温度

 ねぇ元気って言葉から始まって

 枕の布は細くロープ状に千切れるよって

 キャンプマニアの息子の謎の雑学

 あの子はお米を洗剤で洗ったのだと

 笑うアイツからかばった奴が

 世界で一番の勇者だった

 くだらないことはくだらなくなんかなかった

 ココまで読んでくれてありがとう。ちょっと性格の悪いことを書いちゃった気もするけれど、私の本音だし、これも全てnote創作大賞エッセイ部門で入賞するのを夢見てるが故の所業です。そろそろ肩も凝って来たし、音声配信が聞きたくなってきたのでドロンします。
 みんないい人だなぁ。ハートボタンを押してくれるだなんて・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?