ローマの路は何処(前編)

ディズニーって、凄まじい。。。。。



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時は2019年3月末日。

猛烈な吐き気と腹痛を必死に抑えながら、美しきヴェネツィアの街に流れる水路の上に揺られ、そんなしょうもない感想を抱いていた。


「ながらスマホ」で船を漕ぐボーダー服のマッチョなゴンドラ乗りと、遠目は綺麗でも近くで見るとボロボロの建物たち。

夢の国、ではなく、人々が生活として観光産業をしているまちなんだn、






、、、吐いた。


この美しき水路を汚すまいと踏みとどまっていたが、ゴンドラを下車した瞬間、限界が来てしまった。(きれいな話ではなく申し訳ない)

スッと心配そうにティッシュを差し出してくださった観光客の方々には本当に頭が上がらない。

ツアーの迷惑になるまいと我慢していたが、流石に雲行きが怪しかったため、私は添乗員にこの段階で初めて申し出た。

「すみません、お腹が死ぬほど痛くて、さきほども吐いてしまって…」


あくまでも、丁寧に、必死に、私は自分の不調を訴えた。





添乗員のババロア「えええ???そんな格好してるから冷えたんじゃないの??」

(敢えてババロアと書く。

私は汚い言葉が好きじゃない。だから、ババロアと書く。

ちなみに私はババロアも好きじゃない。)


ババロア

「そんな格好」は、長袖くるぶし丈のワンピースに革ジャン。

夕方になり涼しくはなってきていたが、20℃くらいの気温だった。


ツッコミどころ満載だが、ババロアである。

暖簾に腕押し、とはよく言ったものだ。

ババロアにいくら腕押しても、反応なんて返ってくるわけがない。むしろ崩れるだけである。。。


唖然としたグロッキー状態の私は、そんなことを思っていた。

(今思えば、そのような阿呆なことを考えて諦めずに、もっと真剣に、

自分の不調を訴えるべきだったのである。)


結果、「様子見」という名の放置プレイをされた私は

青い顔をしながら夜の綺羅びやかなヴェニスの街をフラフラと歩いたあげく、

広場の端っこで座り込み、通り過ぎるカップルに怪訝な顔で見つめられていた。


一緒にいた友人が他の人を呼んでくれ、

なんとかホテルに辿り着いた頃には、

岩でお腹にある内臓の両端をグリグリとえぐられているような痛みに悶え苦しんでいた。


ベッドに横になることも困難なレベルであり、

必死に猛烈な痛みを訴えたが、(かつ友人もかなり訴えてくれていた)

ババロア「寝たら良くなるでしょう、はやくおやすみなさい」


とのことで、またもや私は放置されることになった。


ここから数時間のすったもんだの後、わたしは病院に運ばれることになる。

長くなるので、その話はまた次回。



今回は最後に、私が得た最大の教訓の話をしたい。

もちろん、好きでないババロアから得た教訓である。


端的に言うなら、

「ガチでヤバい時は、なんとしてでも伝えなきゃいけない。」


至極当然なこのこと。


流石に申し訳ないので一応の留保はしておく。


10数人を連れて異国に行く、という責任がある中で、

「面倒を起こしたくない」という思いを持ってしまうのも、


そんな中、ポヤンポヤンの19歳の女子大生が「お腹が痛い」と言ったら、

「生理か、冷え性でしょ」と片付けたくなってしまうのも、


気持ちとしては、わからなくないのである。


自分だって、(特に女性の場合)「お腹が痛い」と言われたら

なんとなく「大したこと無いんじゃ」と思ってしまう。


けど、これが

「心臓が痛い」だったら?

胸を抑えてその場でうずくまったら?


どんなに自分に余裕がなかろうと、きっと優先度はその人に向く。


自分の余裕、なんて、人の命に天秤に掛けたら大したこと無い、

なんて、あとになれば簡単にわかることが、

「そのとき」はわからなくなってしまう事がある。


だからこそ、「ヤバい」時は自分で、訴えなくちゃなのである。


ババロア…なんでしょうもないこと言ってないで、

他人にはどうしたって理解してもらえない「痛み」を、


どうすれば助けてもらえるか?

どう伝えればこの「ヤバさ」が伝わるのか?


無知無能の私は、情けないことにこの能力が著しく低かったのである。


ここまで「伝えなきゃいけない」と訴えてきたが、

それは間違っても「伝えられない奴が悪い」という話ではない。


そうなってしまうきもちがわかってしまうとしても、

ババロアになっては絶対にいけないのだ。


痛みを訴えているひとがいるとき、

訴えたそうなひとがいるとき、

「大したことないでしょ」なんて、どんなに残酷な言葉か。


励ましとして言う場合も勿論ある。

でも、そのひとの痛みはそのひとのものでしか無い以上、

「まあこんなもんだろう」なんて、測れる人は一人もいないからである。


過剰な訴えは場を混乱させることもある。

一様にはいえない。


でも、

私は、ぜったいに、ババロアにはなりたくない。


そう心のなかで誓った時には、私の記憶はもうとぎれとぎれになっていた。

(後編へ続く)
















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