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いつか、天(そら)の下で。~共有する大義。~

背景。お元気ですか?

今、どうしていますか?

誰と居る?

何をして居る?

今、幸せですか?


今、西暦2021年6月、

一昨年の12月に報道された一件が、

すっかり大きく拡大して、

事態は、収束のつけようがないほど、荒れ狂って。


今までにない出来事に、デマや偏見まで横行し、

過敏に膨れ上がった民衆の意識思考は、濁々と流れ、ぶつかり合って、まるで、嵐のような世界に在って。

舵を取る政治家や、数多のインフルエンサー達が軒を並べ、言葉を繰り出して、聴衆を支配しようしている。


私も、その、活動家の中の底辺であって、初歩であって。

この事件が起きる前までは、静かに夢想していた【神の見地】を披露するでなく、

懐に納めて、

【人の新たな指針】を問うのです。


今、この事態において、

【人が執るべく】宛がわれたはずの、【正しい見識敬意】を。


けして、振りかざさない姿勢で、

支配しようとしない思いから、

正しく守りたいとする信条から、

同じ、今を生きる人として、

私らしく、世界に際し、捧げるべく。


~~つい先日の話でね、内心笑ってしまったのですよ。

ある人は言った。

私は怖くない人だと。

他の誰かは怖い人だと言うのだけど。

【怖い】の意味こそ違えている。

それは【支配】だ。

相手は、他の誰かにコントロールさえされていることを【怖さ】【恐怖】としているだけに過ぎない。

だって、私は、いつのときも、怒り狂ってさえいても、

【他者を愛して(許して)】いるのだから。

けして、【支配しようという私ではない】のだから。

怖い訳がない。

私は、いつ何時も、目の前の相手に対し、【従う姿勢で居る】のだから。

私の、その、底抜けの受容の怖さを知らないのだ。

何でも許すはずの私の受け皿から溢れたものは、

私から外れた意味ではない。

世界の常識、宇宙の庇護から外れたのだ。

私は知らんぞ。一介の人間の私に、救い様はない。

私は知らんぞ。。。


私は、自身の正しさと悪しき部位をよく、よく、心得て居るから。

故に、他者へはっきりと強く主張も出来、

いっそ、貝のように固く閉じて黙るのです。


私の、その極端さを周りは不可解な目で見守ります。

それは、私が、善も悪も、同時に内包し、受容するからです。

私の軽快過ぎる、極な感情の起伏は、

私自身に、対極を成すものが、幾つも納められているからです。

物事の表裏一体を知っていて、

けして、片方だけを掬ってやらない。

両方掬い摂る私だから、

見せることが出来る温度差です。


けして、同じようには出来ないの。

それぞれが持つ、思いを知るから、

私は、個人(独自)の意志もそれに絡ませて、対処を打つ。

みんなに、同じように接してくださいなんて、

そんな、ツマラナイ選択をさせないでよ。

死んでいることと同義じゃないか。私自身にとってみればね。それは、私が、私だから。

誰が、みんなに、同じように接しても、罪はないけれど。

私にとっては。私という性格性質の人が、それを選び、選ばされたとき、【人格一個死んでいる】。

そういう、少し、複雑な解釈も、至極普通に、当たり前に行う局地な私です。

特別なんじゃない。

【少し、メンドクサイ人】なだけ。~~


こんな私が面し、見える今の社会は、本当に複雑奇妙で、

危険に怪しく揺れています。

オカシイ箇所があちこち存在して。

曖昧なことが、まるで正しい知識のように語られ、

信じ込まされています。


神様こそね、そうなんだけど。(今ここで起点に返り、改めて、懐に仕舞ったものを広げてみよう。)


今人は、今日明日の生活に必死で、

物事の表層しか見つめていない。

そのことが、

2021年6月の私には、不憫で仕方ないのです。

みんなの、熱を込めた眼差しを感じるから、

それが向く先を心配するのです。

みんなの、生きた活力を牛耳る、

恐ろしい対象(思い込み理解)を憂慮するのです。


幾らも、足元に砂地の残らない海の中の砂場から、

必死で、こっちだよ、と。声を掛けても。

誰一人、振り返らず、

第二のタイタニック号に乗船していく。

みんな、それが、【贅沢の極み】だと信じ込んで。


いつ、船は陸に留まるのでしょうか。

大陸を見つけ出せるのでしょうか。楽園を。


私が、自分が正しいと言えるのは、

正しくないも通り過ぎてきたからです。


一つではないそれの、

孤高のテーマであり、非常に重々しく崇高であるとしている、それを私が苦し紛れに紡ぐ無能さが惜しまれる一つを例に上げれば、神様で。

私と同じ病気をした人、治した人なら、

神、その真実に近い立場に立てるから、語れるのです。

そんな私はね、一切自分を特別だなんて言わない。

何故なら、神とは、当然だから。そう主張する。

今の人が知らないだけ。

この病気の人は、治した人は、現実に目覚めた人は、

より、宇宙の真理に近いところに立つ。


何を言っているか、わからないでしょう。わかったようにしか、思ってもらえないでしょう。

私は何もどこも特別なのではなく、

普通じゃない。ただそれだけ。

人としての特別さは微塵ともなく、

一般常識の蚊帳の外に一瞬立って戻ってきた人。非(超)常識に触れた人間。

その、同じ生き物として、人間として、辛くも生きる人の理想信念を取り戻した立場として、自身の知見を語っているだけ。

神の証明は困難だし、否定も出来ない。

だけど、人が今、争っている事の対象(解答)さえ、見つめる立場にある。

人の世は、複雑に編み込まれた物語のベールに事実を閉ざされ、陰っている。

ここで話したい、起点ともなる巨大な一つは神であり、

この記事で私が説く神とは幻想ではない。リアルだ。

もっと現実に則して神を見つめなければ。

何故、それが重要か。。。

人間が、実生活に擬物を許すようになった。その時代から、

創り込まれた思想により、人は争ってきたから。

まるで押し付けだと。わかってもらえないでしょうけれど。。。

私の執着は、当たり前を生きて来れた人には、なかなか理解しようがないものだもの。。。

その、歴々と当たり前に伸びる道から外れた、

いつか、どこか、の。何者かには。

神の実態こそ、語れている。

それは、分を弁えたものが、己を知り、周りを知り、過去現在、世界の流れを知るということ。

これは、予言と言い出せない、私の孤独な夢。


いつか、天(そら)の下で。

明るい天(そら)の下で。

人が笑い合う日が来るでしょうか。。。


現状起きている非常事態と、いつ、人は、折り合えるのでしょうか。。。


何年後、何十年後、何百年後、何千年後かもしれないあなた、同胞へ。

いつかの日に、この地球(ちじょう)に生きていた人間という生き物の存在を覚えてください。

それは、非常に強欲で、短気で、必死で、

時に一生懸命で、面白く愉快で、繊細だった生き物です。


今が【目覚める瞬間】だと、何度も巷で取り沙汰されたフレーズは、

【強い睡魔に引き摺られ】て、【朝日を見ない】。


私は、まだ、ウトウトと微睡んでいるだけの人の世が、

心底心配で、愛おしく、憎らしいのです。


【早く起きれーーーっっ!!!!!】って、

叫びたいくらい、

私も必死で生きています。


一緒に、生死に一喜一憂して、

いつか、無に墜ちていきます。


私は、己が墜ちる前に、世界に、宝物(に変えられる言葉)を置いていきたい。

人の世が、明るい天(そら)の下で続くことを心から願って。


あなたの生きる明日を祝福します。

それは、みんなが同じに願った日常。

当たり前を望んだ、切望された平凡。

荒れ狂う現代から、

あなたの未来を祝福します。

ある人が願い、 ある人が大切な人と、大切なものを願った。

誰かの大切な存在を願われた明日を生きる、あなたの今を願います。

幸せでありますようにと。

許してください。私達が力ないばかりに、今世界は揺れています。

平和な世界にあなた方が立てていますようにと、心から願います。


幻想的に編み込まれた物語(神話)のベールを外し、

天(そら)からの日差しを暖かく享受される世界、、、


不器用に牽制し、いがみ合っている現在から、

当たり前に普通に、隣人の幸福を望める世界、、、


わからないこと、不確かなこと、未知のことに脅え、

噛み付き、制御し、排除するだけの現在(いま)から飛び立ち、躍進した清らかな世界、、、


そんな未来に生きる、あなたの大切な生活を願っています。


今は、生きながら神の国への登録待ちをしているような事象において。

考えるべく、打てる対処は、神などの思想より、

もっとリアルな生活の選別なのだけど。

これが本当に浅はかで、軽々しく、嫌になります。

【真に神を見つめてこなかった】人類の【見解から選ばれる解答の陳腐さ】よ。。。(政治家の采配)

【本当の豊かさを認めなかった(捉えられなかった)】人類の【思考力(意識)の低さ】を感じ(成否、どちらの意見もガサツで騒がしくて)。

私は、同じ視界から、憂いています。

私は、どこにも、飛び立て様を持ち得ないから。

そんな自分を異質だとは言いません。

同族だ。同属性における異端。

思い掛けず、精神病で望まれない道に立ち、辛うじて現実に還ってきた神様の国よりの帰還者。神の国を見つめる者。

いつまた、道を外れるとも知らず。

戻れるとも限らない、自分の不運を脇に寄せて。

そこから捻り出した真理を。

私は、伝えることが出来るから。


多分、きっとね。これは大きく現在(いま)より遊離した、だいぶ現実問題を飛び越えた次元にある推測です。

この、誰の気に止められることもない迷路の中の孤独な呟き通り、

人が、眠りから覚めて、真実を見つめ(現実を直視し)始めたとき、

これまでの神様の神話から外れたとき、

新たな頁が綴られる。

新たな神話世紀。

神様が死んだ、神の世紀が。


何を言っているか、わからないでしょう。知ろうとさえ、してもらえないのかもしれない。何故今、ここで言わんとすることが、神様なのか?

私はそれを強く否定している。信仰するのは神だけだ、と。


神は、人の姿を模しているか?

人が、神から生き物の姿を譲られたのか?

人が、神に、自らの姿を投じたのか?


神を知る人が居るか、居たのか?

それは、現在の、人間の五つある感性を超えたところにある。

思想だ。イマジネーション。思い付く能力で、今はそれしか、人は持ち得ない。

近いところで、倫理哲学だ。

神は、事実事象である。

模範、ルール、法則、絶対だ。

ごく普通の、世界の様相を。

人が、適宜に、把握出来ていないだけ。

何てことはない、確かに存在するパーツであり、

唯一、無をも返せるかもしれない存在で、だから神であり、特別でもあり、当たり前なんだ。


言うことだいぶキテいるけれど、心配しないで。

神様こそ、奇天烈様だわ。


そこで人は、奇天烈様な力さえ、ねだるけど。安直に安易な永遠を願うけど。

永遠の価値こそ知る前に、人間の真価を知らなければならない。

私達人は、

生きながら眠っている。

物事の本当を見つめられずに。

ただの楽な一側面しか眺めようとしないで。


人間として、人間らしい望みを持ち、理想を描き、生活をして、、、

それが。

【人間の欲求に振れた人間らしさ】から来るものだったから。。。

今世界はこうなんだ。混沌として、今にも、

基盤の弱い立場の人から、闇に墜ち掛けそうだ。

【神を見つめられなかった】人類は、【物事の正しい価値さえ知らない】。【正しい豊かさを知らない】。

【神の意志に添う人間らしさ】から来る未来を見据えたとき、【正しい望みを持てたとき】、

それが、

人の、

本当の真価が発揮されるタイミングとなる。


私は予言する。

これは起こりようもない物語。

今の人間の社会の進路とは逆の、仮の物話の中の話だ。

これまでの宗教が廃棄された世界が、

人が見つめなければならない真実に向き合う、人類の新たな進歩境地だ。ここまでがフィクション。

予言は、終ぞ、実現することはない。と言って、、、

そうであって欲しくない。と、添えておく。


このリアルに凄惨な時期に。。。

不意に愚者から投げ出された宗教観。

それは、とても奇妙な奇妙な拘り。

多様であっていいはずのそれが、現代では、斑で酷く醜い世界の有り様を導き出すから。

私は、物陰(リアル)に隠れたそれをひっぺがして日の下へ持ち上げようとする。

人間の起点は、実は死相観念で。

人間が、生と死を如実に捉えない曖昧な思想体系、環境から、私達は、

現在、愚かな生き方を選んでいる。

私達が己に囚われ、時に他者を阻害し、蔑み、攻撃するのは。。。

制御すべきをせず、欲望に支配された日常を続けるのは。。。

命の本質を理解していないからだ。

命の本質。

それは、フィクションとして構想構築された、現代の宗教、死生観、倫理観では語れない。

もっと真に迫った、物事の本当の意義を知ることが必要になる。

そこが揃わない世界は、

今のように、てんでバラバラで、散り散りに飛散し、各々で、今にも消えそうに、弱りきっている。

私がこれを繰り返し主張したいのは、

世の人が掛け違えた項を正しく導き出したい。

世の本当を伝えたいから。

本当を見つめてこなかった歴史の先頭に立つ現代の私達人類は、、、

一族、衰退の一途へと、ただ駒を進めている。

それをどうにか、踏み留めたくて。


きっと、わかってはもらえないけれど。

私はそのことさえ、自分自身に見つけているけれど。

違っていて当然の世の中で、

当然と思えなくしているのが、日常に持ち込まれる、軽薄な意識。

命の尊厳を守れないこと。

何故に、他者を阻むのか。

その心理は、どこから流れ着くのか。


こうまで言っても、私は誰も責めていない。

ただ、着の身着のまま、一心に、

〝そっちの進路は危ないよ〞と、声を掛けている、孤独な堕聖職者。

思わぬ境遇から非(超)常識を観察してきた。

宗教の大義、、、言うほど大事とは思われていないでしょうけど。。。

信仰の対象、そこでは、間違いのないものを信じたいから。。。

各地で異色風情を織り成す宗教も美しいが、

世界には、真に美しい意味を宛がわれた事象が、幾つも幾つも隠れている。

人間の脆弱な意識によって隠された、生き物の、本当の繊細な価値。

歴史の中の人には、その真の美しさを受け止める、度胸が揃わなかった。それだけで。


神様を否定しながら、神を信仰しようと持ち掛ける、、、

私はね、少し、変態的な立場構想から、こんな話をしたの。

今の宗教はファンタジーだ、と。

自惚れじゃない。オカルトでもない。スピリチュアル、神秘でもない。

【マニアック】だと呼んでくれ。呼んでください。

私の、得意(特異)分野だ。


私は、誰も否定しない。

だから、自分自身さえ、否定することがない。


一瞬開いた貝の一人語りは、退屈(不可解)でしたか?

悪しからず、

心ある方の、貴重な時間を拝借して。

自分の本気を記事に練り込みました。

どこか、面白さも感じてくださったのならば、オタク冥利に尽く次第。

読んでくださって、ありがとうございました。

心より感謝を。お疲れ様でした。


(嗚呼、どうか。他人が望まないことを望まない社会が成せるなら。。。)


再見。また会う日まで。

あなたの変わらない日常と健康、

あなたの大切な人、大切なものの安心安全と、

あなたの夢が周囲から応援され、望まれていること、

世界が幸せで構築されている、

奇跡的に善良な世界を待ち侘びて。。。



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