【我流:パワーストーンこぼれ話】
二十代のとき、職場の方から、〝お守り〞と言って、パワーストーンのブレスレットを頂きました。
〝持ち主が大切にしていると、必ず応えてくれるよ〞と言って。。。
アクセサリーには、全く興味のなかった私ですが、石には興味を持ちました。
元々、スピリチュアルな方面の話題が好きだったからです。
病気で仕事を辞めることになり、実家に籠っていたときに、時間を持て余した私は、自分でネットをあたり、ブレスレットから、はたまたその材料までを買うようになり。。。
ネットの情報や、軽めの本などから、独学で知識をさらっていました。
本当に。。。膨大な知識量で、石の世界はどこまでも深く。。。
私は、その表面を撫でてみただけ。
これに対向出来なかった私は、こう考えることにしました。
〝パワーストーンの価値は、持ち主が決める〞
ここで言う、パワーストーンの価値とは、俗に言う、パワーストーンの効果みたいな、お守りとしての意味ですが。
パワーストーンと言っても、全てが本物であるわけがありません。
勿論、偽物もあるし。
模造品も存在します。
中には、成分を同じくして、生成したものもあるのだとか。
私は、この、雑然としたパワーストーンの世界を取りまとめてくれる、一つの方法論として。
〝パワーストーンの意味を持ち主が与える〞説を取りました。
つまり、
持ち主が、目にしたパワーストーンと呼ばれるモノ、もしくはそのアクセサリーに、何か〝インスピレーション〞を感じたとします。
私は、それこそが、そのモノの〝真実〞だとするのです。
本物じゃなくても?偽物や模造品でも?
と、思われると思います。
が、何故、それは、モノという形で存在しているのでしょう。
そこには確かに、実体が込められています。
その意味、つまり価値は、使い手が決めるのです。
活かしようです。
活かすとは、騙すことではない。
持ち主が、本物として。そのモノの何か、どこかを真実として。そのように利用することです。
あくまで、その意味を使い手が決め、選び、使用することです。
偽物も存在するということは、騙しも存在します。
その中で、この意見は、非常に難しい立場ではありますが、
至ってシンプルです。
偽物の中に真実を見た、見つけられた人にとって。そのモノは、見つけたその人オリジナルの、真実の対象であります。
偽物は偽物です。
でも、何故人は、美術館に飾ってある、レプリカをわざわざ時間とお金、体力を削って見に来るのでしょう?
レプリカはレプリカと、言わなくてはいけません。
美術館は、それを本物と言って飾ることは許されない。
でも、レプリカにはレプリカとしての価値。
レプリカを見に来る人が与える価値があるのです。
それが、今、私がここで話していることの、一例です。
何だか夢のない話だけど(笑)。
パワーストーンと称するモノの価値をそれを選ぶ人が、本当に気に入って、そのように感じ取っているのならば。。。
私は、それが、そのモノの価値ですよ。
〝真実〞が存在しますよ。
と、本当ならば、教えてあげたい。
そのモノの価値は、その人の心にあります。
心は生き物です。
いつか、不要になるかもしれない。
でも、今、この瞬間のその人が、求めていた価値をそのモノが、それ成りに、与えてくれる。。。
パワーストーンとは、そのような側面もあっていいのではないかと思う、
私の中を流れる、パワーストーン観でありました。
~追記~
何だか分かり苦しい話をしてしまって。。。(汗)。
〝偽物の中に真実を見る〞とは、どういうことであるかを追記します。
簡単な話です。
〝綺麗と感じる心〞〝美しいと感じる心〞のことです。
偽物であれ模造品であれ、レプリカであれ。
そう感じる心に不純はありません。
何かを感じた。。。そのインスピレーションに、間違いなどありません。
私はこの、キャッチした〝意味〞をそのモノ(対象)が持つという話をしたかったのです。
つまり、
使い手が実感した意味、価値を対象は間違いなく携えており、使い手が必要とすれば、必ずそれに応えてくれます。
使い手が必要とする意味や価値を対象は与えてくれるのです。
その人が美しい、快いと思えばその意味を価値を。
〝パワーストーンの意味を持ち主が与える(選ぶ)〞とは、そういうことです。
パワーストーンを美しいと、必要だと、思う心に、
石は必ず、〝応えてくれますよ〞と、いう小話でした。
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