【目的】
【目的】
何故、【note】を始めたか。。。
【作品】づくり、が、したかったから。
今、素人の活動家さんたちが、ネットやフリーマーケットなどで、世間を賑わせていますよね。
私もそれに、一口噛んでいるんです。
別のサイトだけど、
【断捨離】として、ハンドメイドを扱っています。
そこは、あくまで、【整理整頓】が一番の目的なのだけど。
純粋な作品としての、素人活動をしたいと、常々思ってきたんです。
私は、子供の頃にカメラに興味を持ち出し、
高校のときは写真部員。
22歳のときに、初めて精神病を患いました。
症状が治まった頃、地の底まで沈んだ私の心を救ってくれたのは、母の「桜の写真を取りに行こう」という誘い文句でした。
最初は、何となく。。。
でした。
何となく、昼過ぎから日没まで母と二人で近所の公園をぶらぶら歩き回って、
気が付けば、連日、そして毎年、
桜の写真を撮り歩くようになりました。
病み上げた、何者も住まない、萎んだ心の中に、
【いい写真を撮りたい】という願い事が生じたのです。
いつしか、それは、【写真の活動をしたい】という夢に変わりました。
アマチュアの個展を開くか、冊子にするか、
そんな希望は、私の色褪せた日常に色を加えてくれました。
あくまで、素人の活動だったので、お金は必要だったのですが。。。
欲しかったのは、お金ではなく、人の心に明かりを灯すことでした。
私には、本当に微弱な、か細い明かりしか扱えないと、言い聞かせて来たけれど。。。
私にしか、出来ないことが、あると思った。その力は弱くとも。
それが、私が今日まで、どこも恥じらわずに生きてきた、理由です。
実際は、色々起こしているの、ニュースにはならないようなレベルで、家族やご近所さんに迷惑を掛けている。
いや、
本当は【情け】で、事件にしてもらわなかっただけで。軽はずみに言えないような道も辿ってきたの。
それでも。。。
生きる私には、
これからも生きていくしかなくて。
【恥じらわない】ことを自ら選択した。
恥ずかしい。。。と、引き籠ることは、簡単に出来てしまえたけど、
私は自分の感情のスイッチを恥じらわない方向に切りました。
そう出来たのが、【写真への執着心】であり、
【生き残ることへの執着心】でもあったのです。
生きていたい理由が、写真を撮れるから、でもありました。
日頃、私には、選べる装備が、人より少ないと言い聞かせているんです。
自惚れないように。
謝罪と感謝の念を込めて。
そして、そんな私が欲深くなれるもの。
それが写真であり、
それは本当に単純でシンプルに、
人の為になるような写真を誰かに届けてみたい、という願望だったのです。
いつしか、歳も降り、現実は厳しいなぁ。。。思うようには進まないものだなぁ。。。と、実感するようになりました。
アマチュアの活動は、【夢】という言葉で胸の中にしまうようになり、
写真も以前より頻繁に撮らなくなってしまって。。。
それでも、
人生を選ぶ、選べる選択肢に、【作品活動】だけは、残されていたんです。【素人の作品活動】として。。。
寧ろ、友情だとか恋愛だとか、人との繋がりは、私には、難しすぎて。
物しか、扱えなかったんです。
少しモノクロームの、物悲しい人生の、
意味を付けてやりたかった。
価値がないものに、してしまいたくなかったんです。
自分以外の外の世界に、何かしらの影響を残すもの、
それを作りたかった。
それが、私が【noteを始めた理由】です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?