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空をうつす(移す、写す、映す)


少し長い話になります。
古来、日本では様々なお祭りがありました。今でも綿々と続く祭りもあれば、廃れた祭りもあります。
じいちゃんばあちゃんは今でも祭りが大好きです。
それは寺社仏閣の祭りです。
昔は寄り集まるコミュニティ(広場)が寺社仏閣くらいしか無かったからでしょう。
今は整備された公園や娯楽施設で各自治体、企業体が大きな祭りをフェスと名前を変えてやっています。
もちろん、子供たちもお祭りが大好きです。
子供たちには祭りの主催が誰か、など関係ありませんから純粋に楽しいものは楽しいのです。
だから老若男女のうち、じいちゃんばあちゃん、子供たちは寺社仏閣のお祭りが今でも大好きです。
フェスもいいですが、それは上記の老、若を分断しているように思います。
わかりやすく言えば高齢者と子どもをターゲットに据えていない。
企業体が母体なら当たり前です。その人達はお金を持っていないから利益をもたらさない。
自治体でも同じです。彼らは働いていないから税収をもたらさない。
高度経済成長期からバブルまで、消費するターゲットを細分化しピンポイントでアタックする手法が持て囃されました。
マーケティング、ブランディングですね。
それは大きな利益をもたらしたので、その手法に皆が酔いしれました。
今起こっている少子高齢化の問題はターゲットを絞られ、分断され、細分化された消費社会の成れの果てです。
本当は空と海と大地の境目が無いように、人間関係も地続きで分断など出来ないのに、出来ると錯覚してしまったのです。
「他人と私は関係ない」
それがカッコいいと勘違いしてしまったのです。

少子高齢化の問題の本質は「面倒を見る人がいない」に集約されます。
子どもの面倒を働いている親がみられない、かわりに見てくれる人がいないから産めない、育てられない。
お年寄りの面倒を見てくれる人がいない。
だから介護保険が出来ました。
年寄りが増えるのは決まっているので、先に対策が生まれましたが、出産は選択出来ますから対策が出来るまで、産む側は産むのを控えようとするのは当然の考えです。 

最初の話に戻ります。

分断された消費者をもう一度地続きに戻したい。
面倒を見て、見られて、の関係を作りたいと思った時、私の目に魅力的に映ったのが寺社仏閣の祭りのコミュニティだったのです。
誤解を生じないように申し上げると私は特定の宗教には属していません。
趣味で笛を吹いていてたまたま、寺社仏閣に出入りはしますが何かの信者ではありません。
正月神社に初詣に行き、お彼岸は寺に墓参りに行き、クリスマスにはツリーを飾り、バレンタインにはドキドキして待つ普通の日本人です。
そんな私が仕事柄、子育てや介護に悩む人達の話を聞き、誰にも面倒を見る事を任せられない事情をたくさん目のあたりにしました。
なんで任せられないんだろう?
それはお世話する人の顔が見えていないから?
面倒をかけたくないから?
いやいや、面倒はかかるんです。生きていればどうやっても人に面倒はかけます。
これから人が少なくなり、家族が少なくなるから余計に他人様に面倒がかかります。
だから今のうちから面倒を掛け合う練習をしておきましょう、というのが私の論旨です。
そのツールが、寺社仏閣を中心としたお祭りコミュニティの復活。バラバラにやっている各地のフェス、アート活動の連結だと信じています。
飛躍した物言いをすると「地縁と血縁の見える化」です。
祭りへの参加は面倒なものです。
準備、運営、その他もろもろ大変です。お金もかかる、しかも利益目的ではないから儲からない。
でもいいじゃないですか。
参加する老若男女、じいちゃんばあちゃん、子供たちが楽しかったら。
そして自分たちが楽しめれば。
今から面倒をかける、かけられる練習をしときましょうよ。
自分たちの子どもや介護が必要になった親を、預け預けられる関係作りをしときましょうよ。
もちろん、住み慣れた地域で。

これを生涯をかけて具現化するのが私の役目です。
ワクワクするなぁ。

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