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人生初のピカソの絵

2人の友人とMuseé de Grenobleに行ってきました。アート初心者なので見方とか特に分かってないんだけど、分かってないなりに少し調べてから行きました。25歳以下は無料で写真撮影もOKでした。

※以下の情報は私調べなので確証はありません。
レオナルドダヴィンチがモナリザを描いたように目に映るそのままのものをいかに綺麗に描くかがアートの一つのゴールだったけれど、カメラで写真を撮れるようになってからアートの在り方が変わったらしい。まずは今日見たマティスさん。彼が、映るそのままのものを描く必要はないと妻の鼻を緑に塗ったそうで物議を生んだとかなんとか。

感想: おばあちゃんちのこたつの柄みたい

そんで、ピカソは「多視点」を生んだらしい。展開図のように、見えるそのままのものよりもさらにリアルなものという概念。サイコロでいう1〜6の面が全て写るような絵。

感想: おー、ピカソっぽい。

ほんで、抽象物を書いたり、そもそも美しいものがアートなのかっていう疑問だったり、色んな概念をぶっ壊しながらアートが考えられてきたようで…戦争を経てヨーロッパからアメリカにトレンドが映ったり、、

その時代にあるものをうつすのも、その人たちが描こうとした思考もそれら含めてアートなのかなとぼんやり考えるわけです。このぼんやりってのがまた大事だと思って輪郭をはっきりさせないことがまた一つ捉え方を豊かにしてくれるのかなと個人的には思うわけです。あと歳を重ねて解釈を変えられるからそれも楽しみというか。今日は絵を近くで見たり離れてみたり、正面からとか横からとか、どういう時代背景で何を伝えたいのかとか、むしろメッセージなんてないのではないかとか、色々考えさせられました。アートの見方を少しは学んだもののアート自体こう見なきゃいけないとかはないだろうから、歳を重ねた大人たちもみんな見てそれっぽい顔してるけどおれと同じように何も理解はしてないんだろうなーと思いつつ、理解すること自体ナンセンスで感じることが大事なのかなーと思いつつ、自分が正解探したい人間かもなーと思いつつ、、ぐちゃぐちゃになりました。

ということでほぼ自分用ですが感想書きました。

ブルーピリオドのこと追記したい。
(アニメをNetflixで見ただけですが)

めちゃくちゃ面白い

「美術は文字じゃない言語」

音楽もそうだ。こんな感じあんな感じってのが1番大事で言語化した時点で違うものだったんだ。お笑いとかも自分が解釈して人に説明するのは楽しいのかもしれないけどTwitterとかで説明されてるの見たらなんか萎えるのはそのせいな気がする。英語やフランス語も日本語とは違う世界を切り取れるけど、芸術はもっと自由な輪郭を持っているんやなと感動した。

せっかく僕もアカペラをしているので表現について考えてみる。ここでのアカペラは2〜6人くらいのグループで楽器を使わずに声だけで演奏する形態のことを指す。楽器より迫力は小さいと思うが、時に人間のハーモニー・リズムは自由さの暴力で(なんでもありやんって意味です)あらゆる世界を切り出し人々に感動を届ける。そんなアカペラにおいて大事なことは共通認識である珠(たま)を磨くこととその切り出し方を"ある程度"同じ形にすることだと思った。この珠は編曲(アレンジ)・MC・衣装・ステージングなんかの全ての行動を生み出す源で、技術よりも先に重要なものだと思う。(ただ技術がないとそれを表現できないことも自分自身たくさん経験してきた笑)
この共通認識を磨き、その形を把握するためには本音で語り合い、バンドイメージ、曲のイメージ、伝えたいことを様々な角度から認識することが大事だと思う。先輩から言われたからやっていたことではあるが、曲の季節・時間帯なんかの意見を出し合っていたのはここから来ると思われる。同期バンドの演奏に不思議な力があるのもこれが一つ要因として挙げられる。彼らは同じような時代・環境に育ち、言葉には表現できないものを共通認識として内に持っている。だから無理に話し合いを重ねなくても"わかる"のだろう。最高の共通認識の珠を各メンバーがクリアに見えていたらあらゆる表現がおのずと決まって良い表現ができるのではないかと思った。

また、これもまたブルーピリオドの影響ではあるが、「自分勝手力」はアカペラにおいても重要だと思う。自分勝手なやつがいたら演奏がまとまらないのではと思うかもしれないが、それぞれが自分勝手でどこまでも素直な表現をもって、思い切りぶつけ合うことが大事だということを言いたい。それぞれの自分勝手さをメンバーが理解して尊重してあげる。これができずに全員が丸まってしまうと、"面白くない"まん丸の円(もはや2次元)が出来上がるのではないだろうか。もっとこうしたいああしたいんだよと上手く言葉に表現できないメンバーがいたとしたら、それはチャンスだと周りが気付くべきだ。その人の言葉じゃ切り取れない部分を音楽で切り取る努力をするべきであって、それができた時に音楽の意味が存在するように感じる。


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