宇宙家族と愛する家族について
宇宙家族と愛する家族、という,二つの言葉が、何故か結構出てくるんです、私の脳内劇場に。はい。
このくくりについて、別なのか,同じなのか、の疑問があるほどです。
どうも、視点によって同じであったり違いがあったり、重なっていて、都合よく取ってくれとでもいいたげなんですよね。
宇宙家族であれ、愛する家族であれ、その中でまたいろいろな側面を持ってらっしゃいまして。
一概に理解できないんですよ。一瞬の点において、それ、は、ありました、という立場です。
移動すると別の顔してます。顔というかキャラ?立場?と言えばいいでしょう。見えているわけではないので、あくまで、感触の話ですよ。
例えばの例なんですけど
宇宙家族というものが
プレアデスとシリウスとベガとオリオンとアルクトゥルスとアンドロメダだったり
しますと
それはよくわかってない対外的?宇宙人的なものなのか
私の中のプレアデスとシリウスとベガとオリオンとアルクトゥルスとアンドロメダだったりするのか(私の中にもありますから、ね)(受け取る側の問題)
だったりもしていいわけで。
家族の中で、調和が取れているのか、家族として統一できているのか、みたいなものなんですわ。
自分と仲良くしてますか?という場合もありますね。
それが、疑問だったりすると兄弟喧嘩とかいう言葉が出てきます。おかしいでしょ。
実際の人間の家族だったり兄弟の間で喧嘩なんかしてないんですよ?
君の愛する家族と言われる場合、その言っている対象は、私の愛する家族に入ってないのかねぇと逆にびっくりですわ。
視覚的イメージにおけるこの対話?現象は、
折り紙の短冊に似てます。
四角い紙を折るでしょ?そして、切り込みをいれて、広げたりすると
立体的で網目模様なんですわ。
四角い紙なのにですよ?
フラットではない。その立体的な形で、一体どこで、起こってる現象なんだ?と疎通ができず、混乱を避けたいがため,その紙から外れた宙に浮いたところで、あんたどこでものを言ってるんだ,と思うけど,
それをやってると
時間軸からズレるから
今度は,目の前の現場に支障が出そうで
疲れるなぁ、という感じです。
これを(多重次元?なのか多重感覚ですかね)やり続けるのはキツイでしょうな。
というところで、
今さっき、町田のマックカフェで、
コーヒーとマカロンを食べ、癒されました。
イカと共に↓
https://youtu.be/ptiK8U4WlSc?si=4zSIbLsvLylSfpsG
https://youtu.be/88wHgiUAKoI?si=EfYiQ1JpNBYcOaxt
どうもありがとうございます。
愛に溢れていますね。
簡単にしあわせになっちゃえますよ、
おいしかったです。
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