ミラノの駅で
着ていたシャツがまずかった。
ミラノまで来てこれはないだろう、と自分のことを省みる。
あなたが、誰であっても
そうイタリア語でプリントされた文字と共にキリスト像がデザインされている。日本人にとっては、カッコよくても、イタリア人にとっては、なにいっちゃってんの、である。
まあ、知らなかったのよ。イタリア語なんか、わかんないし。
そのせいかどうかは知らないが、
そのご老人(失礼)は、英語で声をかけてきた。
なにか、お手伝いしましょうか?
はぁ?
である。そりゃあまあ、みての通りの観光客ですけどね。別に困っているわけではない。
なのに、その男は、あとをついてくる。これはあれか?押し掛けガイドとかいうやつか?観光ガイドを親切そうに披露して、はい、いくらですとか金銭を要求してくるのだろうか。
いえ、結構です。
ノーサンキュー。
なのに、ついてくる。
どういうことだろう。このイタリア人のおじいさんは、ひまをもてあまして、観光ボランティア活動にいそしんでいるのだろうか?
…あなたが、いい人かどうかもわからないのに、なぜ、あなたにガイドを頼むのだ?
ストレートにいってみた。
その初老のイタリア人は、笑いながら、
自分は英語がしゃべれるし、どうみても君は観光客だから。
といった。
はぁ???、イーターリーアーじーーんんんんん!!
とその訳のわからぬ説得の仕方に、これは、どうにかして、嘘でもついて、逃げなければ、とおもった。
私は、結婚をしていて、あなたの誘いに乗るほど暇ではない。あなたは、おじいさんですし!
そのイタリア人は、笑いながら、
だとしても、君は指輪をはずしているし、60才は、老人ではない。ミラノの街は広くて奥深いからガイドは必要だよ。
…だめだ、この人、暇なんだ、きっと。
そう思った私は、勝手にしてくれと、勝手にあるきだした。
ミラノ大聖堂の前に来て
https://tabinaka.co.jp/magazine/articles/82308
是非とも、この教会は、みておくべきである。とご老人は言った。
まあ、確かに、みておかねばならないだろう。とガイドブックも言っている。だとしても、いくつもりはなかったが。
いや、ミラノまで来てなんでみないんだ!絶対、みておいた方がいい。
と力説された。気がする。しょうがないから、みた。不届きもの以外の何者でもないが、聖母マリアに怒られそうだが。
外見が、尖ったケーキみたいで、教会というより、神殿みたいで。どう違うんだ?といったら全く違うよね、なのですが。教会というより、神殿の邸宅を訪れたみたいな感覚で、お邪魔しまーす、とお宅拝見をしてきた。
その後、どうあるいたのか、アーケードのあるショッピングモールまでやってくる。
その男は、聞いてもいないのに、離婚をしたばかりで、とか、旅行代理店に勤めていた、今は、リタイアしている人であるとか、うんぬんこんぬん…。
なんなんだろうなぁ…これは。
これはあれか、やはり、さびしいさを感じている老人が、たまたまミラノ駅でぼけーっとしていたアジア人に、話をしたいというやつなんでしょうかね。ぼけーっとしすぎている人だから聞いてくれるでしょう?というか。
まあ、知らないから、ゆきずりの人だから、しゃべれることってありますよね。
ふーん、ふーん、…そうですか。
アーケードの途中で、石畳の動物の模様があり、
ここで回れば願いが叶う、
とその男はいった。
そうですか、わかった、
と言って回ってみた。回ってみたが、願いなどなかったので、まわっただけであった。
が、回りすぎてよろめいた。
なにやら、イタリア人は、すかさず受け止めようとした。
何すんだ
あわてて払ったら、
どうして、君はそんなに強いんだ、
と言った。
はぁ?
である。訳がわからん。
ついでに、アイスクリームを買って食べようとしたら
おごるという。
いや、なぜ、!
ますます、訳がわからなかったが、
そのイタリア人は、若干、意固地になっており
絶対自分が払うというので
仕方なく、折れた。
知らない人に、孫でも娘でもないのに、アイスクリームを買ってもらう居心地の悪さがあったが致し方ない、国際交流、人類みな兄弟の精神で、いらぬ喧嘩を
するつもりはない。こんなアーケードのど真ん中で、たかが
アイスクリームなのに。
そのあと、オペラ座の建物をただみて
ただ歩いて、飛行機のチケットがどーのこーのと
いってた気がするが、
いや、ここから地下鉄で次の街へいく
と地下鉄の駅で別れた。
アイミスユー
と最後にそのイタリア人は、いっていた。
思うに、
彼の側で展開されていた物語と
私の側で展開されていた物語は
全く別なものであったと思う。
なぜ、そんなことが起こるのかと言えば
まあ、起こるよね、とも思う。
人の立場になって、その人の気持ちをおもんぱかり
ということの
難しさ
はあるとは思う。
推し量ってみて、ただ、ありがたいことだな
と思う。
自分だけが自分のことをわかっているわけではないのだから。
願わくは、
あの出会いが、あのイタリア人に
とって崇高ですばらしい
時間でありましたように。
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