虐待の連鎖の断ち切り(前編)

先日、妻と話しをしていたときに伝えられました。

『小さいころ虐待を受けていたら虐待をするようになるっていうけど、パパは虐待しなかったね』と

その日から過去を思い出すきっかけをもらったので、文章で残そうと思います。

僕は幼少期に母親から虐待を受けていました。

正確にいうと小さなころの記憶はほとんどなく、虐待を受けていた記憶が断片的にあり、思い出すとその断片的な記憶が頭の中をぐるぐる回る、そんなイメージです。

大人になり、小さな頃の記憶があまりないことに気づいていて、あまり深くは考えていませんでしたが、あるきっかけでその理由が明らかになりました。

きっかけは職場での研修でした。その研修内容は過去の生い立ちを深掘りし、今の性格にどう影響しているか、そして今後どうすれば幸せな人生が生きられるかという内容で、その発表の中で過去に虐待を受けていた事実を伝えました。

そのとき、講師からもらった言葉で、過去の記憶がない理由が明らかになったのです。

『別の人格ができているね』と

講師に言われたのは、幼少期に虐待を受け、その事実を真正面から受け取ると精神が崩壊する。その崩壊を防ぐために別の人格を作り上げ、虐待を受けているのは別の人間だと思うようにしている。そう伝えられました。

『ああ、そういうことだったんだ。』

理由が本当かどうか確かめるすべはありませんが、その言葉が腑に落ちて、今も僕の記憶には強く刻み込まれています。

ただ、虐待を受けていたからといって、母親を恨んでいるかというと、母親の置かれた環境を考えると恨む気持ちはなく、逃げ場がなかったのだなと考えています。

母親は僕を産んで離婚をしています。その後、新しい人とご縁があり再婚、そして新しい父親の家に嫁ぐことになりました。

嫁ぎ先は周辺に自動販売機もないような田舎の家で、新しい父親とその両親、母親と6歳の僕、この5人で住むことになったのです。

父親の両親はとても仲が悪く、お互いに憎み合っているような間柄で、離婚してもおかしくないような関係でしたが、地域の目を気にして我慢して一緒に住んでいる、そんな雰囲気でした。

おばあちゃんはとても厳しい人で、その厳しさにいつも母親は耐えており、助けになってくれるはずの父親は仕事でいつも不在、新しい土地に嫁ぎ、周りに助けてくれる人もいない、今と違ってネットもない環境、溜まったストレスは、力のない僕に向けられるのは当然だったのかもしれません。

唯一覚えているのは、家の外の柱に縛り付けられて顔の形が変わるまで叩かれ続けたこと。バスに乗るとき乗っている人が全員僕の顔を見て驚いていること。その記憶だけが頭の中でぐるぐると回ります。

小学校4年生のとき、田舎の家から引越しをしたので、それまでは続いていたのかな?と思いますが、いくら思い返しても記憶は出てきません。

正直、書いていてツラくなってきたので、続きは後編で書こうと思います。

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