女子高生の幽霊を見る(入院11日目)
「何それ」
夜、モリオのベッドのサイドテーブルに数十冊のマンガが積んであった。表紙は薄汚れ、髪も手垢で黄色くなっているものばかりだが、確かにマンガだ。
「そのマンガ、どこから持ってきたの」
入院中の唯一の娯楽だったトランプが、明朝検査がある浅田さんの不参加で中止になった夜。日課がなくなると、就寝までの時間を持て余してしまう。二瓶さんは奥さんと電話するため病棟の端にある公衆電話へ行ったまま帰ってこない。高山さんはテレビを見て笑っていたはずが、いつの間にか鼾をかいている。
「下の談話室にいっぱいありますよ。二階にあるでしょ、突き当りの階段降りてすぐ、喫煙室の向かいに」
モリオが読んでいるマンガの表紙を見ると、学生の頃に読んだことのあるものだった。
「面白いの、それ」
「まあまあですね。談話室にいっぱいあるから、暇なら持って来ればいいじゃないですか」
モリオの視線は本に戻っていた。これ以上会話を続ける気はない、という表情。
「そのヒロイン、最後死んじゃうんだよね」
何で言うんですかと怒鳴るモリオに手を振り、病室を出ると突き当りの階段を降りる。一階まで降りるため通過することはあっても、二階の廊下を歩くのは入院以来二度目だ。三階のナースステーションがあるのと同じ場所にやはり似たような部屋があるが、中は暗く、人影はない。
受付の小さなガラス戸のカーテンは閉まり、窓枠に小さなノートが掛けられていた。中をめくると見舞客が訪問日、見舞い相手、続柄を記すリストのようで、最後の日付は三ヶ月前になっている。形ばかりで誰も書いていないらしい。
階段から数歩で着く「談話室」と札のかかった部屋も電気は消えていた。向かいの「休息室」は明るいが誰もいない。空気清浄機のモーター音が、薄いガラス戸を揺らしている。ドアは閉まっているのに、ほのかに煙草の臭いがした。中を覗くと、四つのパイプイスが机を囲んで向き合っていた。煙がもうもうと立ち込める部屋で、パジャマを着た男たちが牌をかき混ぜる姿が目に浮かぶ。
振り返り、談話室の電気スイッチを手さぐりでつけると、六畳程度の部屋の左右の壁に本棚があった。ざっと三百冊はありそうだ。見舞い客に差し入れられたが、家には持ち帰らなかった。退院する際に身軽になりたいと思う気持ちは分かる。時代小説の間に「結核感染の正しい知識」が混じっていて、手に取ったときに誰かが廊下を横切る気配がした。
俺は今までの人生で金縛りにすら遭ったことはない。しかし、ここは病院。普段は見えないものが見えるようになるのか。腰を落としたまますり足で歩き、部屋から少しだけ顔を出す。三部屋先の病室の前に、女子高生らしい姿が確かにあった。足は透けていない。
見舞いだろうか。不気味ではないが、夜の病院にセーラー服とはかなり異質だ。顔はよく見えなかったが、どこのクラスにもひとりはいる、メガネをかけた地味な雰囲気の子だった。
幽霊でないと分かったので、マンガ選びに戻る。やはりマナーとして一晩に読める分だけだろうと、選び抜いた五冊ほど抱えた瞬間、「もう来なくていいから」という声が、廊下を伝わってはっきりと聞こえた。
部屋の電気を消して外に出ると、先ほどの病室の前で、メガネの子とスウェットを着た女の子が向き合っていた。同級生だろうか。うつむいているメガネの子を置き去りにしてスウェットは病室へ消えた。メガネの子がこちらを向きそうになったので、慌てて部屋を出て階段に向かう。
病室に戻るとさっきと同じ格好で、モリオがマンガを読んでいた。サイドテーブルに持ち帰ったマンガを起き、ベッドに寝転がる。
もう来なくていいからと言う声が何度もよぎった。そこまでドラマみたいなのを見せなくてもいいじゃないか。物語にも集中できず、一冊だけ読んで灯りを消した。
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