急に妻がくる(入院4日目①)
朝食のあと、ひとり屋上に上がると、北北西に富士山が見えた。病室の冷房温度はそれほど低くないが、普段クーラーをつけない人間には寒く感じる。日に一度は日の光を浴びないとさらに不健康になるような気がして、朝食の後は屋上に上がるのが習慣になった。
手すりに顔を乗せ呆然としていると、背後で妻の声がした。錯覚かと思ったが、振り返ると本当に妻がいた。
「入院のしおり見て来た。調子はどう」
顔を見るのは三ヶ月ぶりだった。旅行会社に勤める彼女と、寮生活だった僕が会えるのは月に一度あるかないかで、特に最近はマンションに帰っても妻は留守のことが多かった。
「結核ということ以外は、特に」
「メモ見て、冗談だろうと思ったら、次の日に保健所から連絡が来たよ」
「何だって」
「近いうちにあなたに会いに来るって。私も検査受けなきゃいけないみたい」
「そうなんだ」
「担当、若い女の人だったよ」
「何で若いってわかるの」
「なんとなく。声の感じ」
「そう。それより病院内でマスクしてないとうつるよ。見ただろ、隣のベッドの男。あんな大男でも結核になるんだから」
「そうか」
久しぶりに見た妻は少し髪を切っていた。化粧気のない横顔に少し見とれる。
「入院してると一日暇でしょう」
「暇じゃないよ、このあと十二時から昼食で、薬飲んで検温して昼寝したら夕食」
「お昼まであと二時間か」何かを考え込むような表情。「ちょっときついわね」
「何が」
「久しぶりにデートして、どこかで休憩して、帰ってくるの」
手すりに寄りかかる妻は、冗談を言っているようには見えなかった。
「大丈夫じゃないかな。車もあるし、行こうか」
「冗談よ。安静にして、ちゃんと治して帰って来て」
そう言うと妻は、二日洗っていない僕の髪をなでた。近くで顔を見るのも本当に久しぶりだったので、洗濯物を干している人がいなければキスくらいしていた。妻は僕の心を見透かしたように、鼻にしわを寄せて笑った。
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