最後の牛丼をたべる(入院初日②)
自宅。この景色もしばらくの間見納めかと、しばらくソファに佇む。妻の携帯に電話したが出なかった。文字ではうまく説明できそうにない。できたとしても信じてもらえるだろうか。しばらく考えてから「ちょっと入院してきます」というメモと、保健所に提出する書類をテーブルの上に置いた。
荷造りしているうちに大汗をかいたので、シャワーを浴びる。入院すれば入浴も制限されるだろう。病室はクーラーが効きすぎていなければいいけど、と思いながらバッグを手に立ちあがる。ドアの鍵を閉めるときは、いつも表札を見上げてしまう。
石鹸やシャンプーは商店街の薬局で揃えた。買い物を済ませて店を出ると、通りの向かいの牛丼屋が目に入った。最後の食事はもう少し豪華にという気もしたが、隣の回転寿司は昼を過ぎても長蛇の列。食べ納めには変わりないかと、横断歩道を渡り牛丼屋に入った。
店内はそれほど混んでいなかったが、クーラーの風が強すぎて一気に体が冷える。食券を買い、店員に渡すと同時にポケットの中の電話が震えた。
「あのねえ、六時までに病院来てくださいって言ったけど、これからのことについて担当の先生からお話があるから、やっぱり四時に三階のナースステーションに来てくれる」
さっきの篠原看護婦だった。
「さっきの所じゃないよ。もう一つ上の階に、同じようにナースステーションがあるから。来れるかな」
「はい、たぶん」四時までにではなく、三階のナースステーションに迷わず来られるかを聞いているようだ。
「あの、車って病院に置いといてもいいんですか」
「本当はいけないんだけど、誰か送ってくれる人いないんでしょう」
「ええ」
「じゃあいいわ。あとで車のナンバーだけ教えておいて。四時ね。待ってるよ」
電話を切り、席に戻ると注文していた牛丼が来た。心なしか肉は水分を失い、しなびて見えた。
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