夜中に病院を抜け出して海を眺める

 目的地だった稲毛の海はまったく人気がなく、風にゴミが舞い閑散としていた。黒い砂浜に黒い波が寄せては返す。潮の匂いはするが、他には何もない。もう少し早ければ海の向こうにライトアップされたお台場の観覧車が見えたはずだ。

 「どうですか。ほら、浅田さんが見たがってた海ですよ」

 「俺が見たかったのとは、ちょっと違うな」

 到着して十分もしない内に、「もういいよね。帰ろう」と浅田さんが言った。二瓶さんとモリオは車内で寝ている。

 「帰りは浅田さんが運転してくださいよ。ドライバーでしょ」

 「俺は自分の車しか運転しないの。こう見えても仕事にプライド持ってんだから」

 そう言っているが浅田さん帰りは寝るつもりなのだ。たぶん高山さんも(さっきからあくびを連発している)。ため息をつきながら運転席のドアを開け、寝ている二人に「帰りますよ」と声をかける。

 「あれ、もういいの」目をこすりながら二瓶さんが起きた。

 「着いたばっかりなのに、もう帰るのね。これなら病院で寝てる方がよかったかな」

 それを聞いた浅田さんと高山さんは苦笑している。モリオは起きる気配すらない。

 「こんなもんですよね」

 何かを期待して海に来た訳でもない。高山さんが「そうだなあ」と詠嘆し窓から痰を吐き捨てた。風に舞う痰は潮風とともに暗闇に消えた。

 高速に入るまでは浅田さんも高山さんも起きていたようだが、ラジオが深夜二時を伝える頃には全員が鼾をかいていた。深夜にラジオを聴くなんて何年振りだろう。学生の頃よく聴いていた局に合わせる。

 八幡を越えたあたりで、モリオが「おしっこ」と目を覚ました。無視しようと思ったが、「漏れますよ」と真顔で言うので、仕方なくサービスエリアに寄った。スピードを落として路肩に入ると、他の三人も目を覚ました。駐車場にはトラックよりも普通乗用者の方が多い。トイレに近い場所に車を停めると、背伸びしながら全員が車を降りた。

 「今どこまで来たの」

 二瓶さんが唸り声のようなあくびとともに伸びをする。

 「八幡です。あと三十分くらいですかね」

 サービスエリアのトイレは他の公衆トイレに比べ落ち着いて用を足せる。小便をしている時の開放感は、ただ単に広く天井が高いからという理由だけではない(気がする)。

 小便をした後に「やっぱり大も」と個室に入った浅田さんを置いて、トイレを出た。自動販売機コーナーの前で小銭を漁っていると、二瓶さんが「これ飲んで、元気つけてよ」と栄養ドリンクを買ってくれた。あとから出てきたモリオと高山さんの手にはアメリカンドッグと焼きそばがあった。

 「ひと口くれよ」とモリオから焼きそばを奪い、三分の一食べて返した。モリオが残りの焼きそばを食べ終わっても、浅田さんはトイレから出て来ない。

 「ちょっと様子見てくる」小走りにトイレに向かう二瓶さんの後姿が、年老いた妖精に見えた。高山さんが吸い終えた煙草を灰皿に落とす頃、「おい、まずいよ」と切羽詰った声で二瓶さんがトイレから戻ってきた。

 「何ですか」

 「浅田さんが、トイレで変な奴らに絡まれてる」

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