女性専用病室に忍びよる影

 七月二十日(水)榊

 何者かに拉致監禁され、歯をすべて抜かれるなどの暴行を受けたあと、解放されると駐車していた自分の車に駐車禁止の札が貼ってあった。夢から覚めると夜中の二時だった。

 体を起こし、誰かのいびきをしばらく聞いた後、棚から買い置きの経口補水液を出して飲んだ。冷えていないそれは甘いだけで美味しくなかったが、いくら飲んでも喉の渇きは癒えなかった。

 ベッドから起き上がり、部屋を出る。深夜の病棟は文字通り、眠っているようだった。入院してもう何ヶ月も経つのに、夜中に廊下をひとり歩いていると、まったく馴染みのない場所を歩いているような感覚になる。病院は夜になり、何か違うものに生まれ変わったようだ。

 女性部屋である二〇三号室からは、寝息すら聞こえないほどの静寂に包まれていた。左右三床ずつあるベッドの、両方の真ん中は空で、あとはカーテンが閉められている。

 僕は足音を立てずに部屋の中へ入り、左手の真ん中のベッドの前に立った。シーツをはがされ、人のいなくなったベッドは昨日まで使われていたのが嘘のようだ。

 昨日までは確かにここに彼女がいたのだ。夜ごとトイレに目が覚めるたび、カーテン越しに寝顔を覗きに来ていた。昨夜はここで静かに寝息を立てていた彼女は、今頃数カ月ぶりに、本来の寝床で眠っていることだろう。

 むき出しのマットレスに手を這わせると、布のざらついた感触がした。それは寝床というより、体育の時間で触れた体操のマットを思い出させた。

 運動は子どもの時から苦手だった。発表と称しできもしないマット運動をビデオに録画される苦痛。運動神経のいいクラスメイトが前方宙返りやヘッドスプリングをする傍ら、体が固く運動自体に恐怖を感じる僕は、ただごろごろとマットに転がるだけだった。

 でんぐり返しなんて幼稚園生でもできる技を繰り返す姿を、ビデオカメラで録画され、クラス全員で鑑賞させられる屈辱。あの体育教師をいつか駅のホームから突き落としてやると、卒業後しばらく本気で考えていた。

 マットレスに横たわり、枕のあった場所に鼻をつけ、音が出ないように大きく息を吸い込む。彼女の髪の匂いはもうしなかったが、昨日まではそこにあった感触を捉えることはできた。しばらくベッドに横たわり、息を殺して佇んだ後、静かに自分のベッドに戻った。目を閉じて先程の行為を反芻しながら、再び緩やかな眠りについた。

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