アントニー&ザ・ジョンソンズ - 完新世の聖と俗 / 泣いている女陰のキリスト(2010) - アントニー・ハガティ

私は悩殺されてしまった。
最初に大野一雄のイメージに触れたのは、アンジェ(フランス)の学校に通っていた16歳の時のことだった。一枚のポスターの中の写真。この美しい生き物はいったい何なのか? ヴィクトリア朝風のドレスに厚い化粧、きら星のように輝いて見える。ポスター貼りをしていたおじさんから一枚もらい、家に帰った。大野一雄という名前も知らなかったが、寝室の壁に貼った。そのポスターはいまもそのままだ。5年後にこの不可思議なダンサーが自分の最大のインスピレーションになるとは想像もしなかった。

19歳のとき、ニューヨークに移った。クラブ歌手になることを夢見ていた。ナイトクラブで深夜2時の公演。あらかじめ録音したテープ音楽をバックに、シャリシャリした雑音入りの音楽で、ゆっくりと動きながら、猛々しく歌ったものだ。自由を求めていた。自分の廻りの世界にある痛み、自分の住む社会にある痛み、環境の中の痛み、内面にある痛み、そういうものを乗り越えたかった。

1991年にペーター・ゼンペルの「Just Visiting This Planet」という実験映画を見た。その一場面に、両性具有のパフォーマーが現れる。崖っぷちで踊りながら、大きな手がまるで崩れおちる岩石のようだ。しかしその心に響く、子どものような初々しさに我を忘れ、涙が流れた。家に帰り、その人がポスターの中の人物だと悟り、愕然とした。この人がいま、目の前で踊っていたのだと。

大野一雄について知り、ニューヨークではモリーン・フレミングのところで舞踏を学び始めた。モリーンは、大野一雄、大野慶人の研究所に学び、田中泯の所にもいた。彼女は西洋人によくわかるように舞踏の教えを噛み砕いて説明していた。羽ばたく蝶々を追いかけてごらん。ひとつひとつの動きを内的な創造的イメージに結びつけてみてごらん。現実の世界と幽霊の世界を深く味わうように。自分の脚が木の根になり、みそおちから輝く少女が現れた。そして部屋中その娘を追いかけまわした。壊れた自分に向かい合い、太陽に向かって手を伸ばした。お母さんのささやく声が聞こえた。愛してるよ。私は目の見えない花のように泣き叫んだ。川をさかのぼるサケのように、ウロコから気泡を走らせた。

私は地下に横たわる死んだ肉体。灰と鉄と鉱物に分解していく。バラの花弁のように縮こまり、干からびたネズミの指のように丸まっている。体液が土に吸い取られていく。先祖達の豊穣な記憶の中に。私はゾウリムシ、二つに分裂する。私は恐竜、荒れ狂う肉塊の噴出。私の脊髄は野生の眼と酸素の泡で出来ている。木が緑色の瞬きする眼で私を見つめる。私は恐怖に震える。

お母さんのスカートの年輪のような白い輪っかをくぐって、私は彼女の中に入る。
彼女は私の頬に触れ、私は泣く。星が私の目からこぼれ落ちる。

大野一雄が私に与えた最大の贈り物。

私の中の聖なる幼児を発見すること。

この子供を育て、抱きしめ、守ることができるのなら、それが私の願いだった。

ありがとう、大野一雄

Antony and the Johnsons

"Holocene Epoch / The Weeping Vaginal Christ" by Antony and the Johnsons
(2010年 ANTONY AND THE OHNOS ─魂の糧─ コンサートパンフレットより / 訳者記名なし)


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