混沌とした世界の中でいかに理想を語るか

2020年の年が明ける頃、世界が新型のウイルスの脅威にさらされることになると誰が予測していただろうか。新型ウイルスが猛威をふるう世界の中でも、築き上げた経済社会を機能させるために、人の生命・身体と経済活動が天秤にかけられることになろうと誰が予測していただろうか。

「AI」という言葉を聞かない日はない一方で、現実社会に目を向ければ、どこも人手不足で、深夜残業・休日労働がなくなるわけでも、人手が補充されたり賃金等が増えるわけでもなく、それでいて、近い将来に人間の仕事の一定部分は「AI」奪われていくとの指摘もされることがある。

この世界を混沌と呼ばずになんと呼ぶのだろうと思う(また、この世界に希望を見出せないあたりが私の人間としての未熟さなのだと思う。)。

それはさておき、通常のビジネスであっても、弁護士も含めた専門家の世界であっても、
理想や夢
を語れる人はとても営業に長けているし、周囲の人を惹きつける。

潜在的な顧客を魅了し、次々と仕事を取ってくる。

人々は、細かい実務上の問題点や専門知識を語ってほしいわけではなく、ビジネスや現実での営みに理解があり、一緒に理想や夢を語れるパートナーがほしいというニーズを持っていることを、実務に身をおいて痛感する瞬間が少なくない。

古典的な専門家像を前提として、理想や夢を語り、営業センスのある専門家を揶揄するような向きもあるが、私はそのような専門家をとても尊敬しているし、生き残りをかけた仁義なき戦いに突入している専門家の世界においても、多かれ少なかれもっていなければいけないスキルだと思っている。

ただし、専門家として理想や夢を語るのであれば、現実、それも当事者の様々な感情や目を背けたくなるような事実と向き合うことを忘れてはならないと思う。

理想の専門家とは、
現実を直視した上で、理想や夢を語り、その上で、現実と理想のギャップを認識し、ときに聞き手にとって耳の痛い話ができる者
ではないか。

理想と夢を語り続け、人々の期待を増幅させ、現実と理想とのギャップを語らずにいるということは、現場で汗を流す人たちに多大な労力を課すことになるし、長期的には顧客にとっても有益ではないはずだ。

現実を見ることをやめてしまったものが語る理想は、とても耳障りがいいが、ときにそれが混沌への入口にもなるということは、忘れてはならないように思う。

とはいえ、現実を直視しすぎると、理想を語ることが憚られ、周囲の人が離れていくというジレンマを抱えることになる。

混沌とした世界で、その渦に飲み込まれずに、理想という船に乗り続けるのは一筋縄ではいかないのだ。

私は今のところ、その渦の中で時々顔を出し、息をするのが精一杯である。

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