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冷めた心が少しだけ温められたのです。

先日、同じ大学の近い組織に所属する同い年くらいの若手研究者どうし4名で食事をする機会があった。そのうちの1人がベトナム出身の先生で、彼が自宅に招いてベトナム料理を振る舞ってくれるというのだ。

私と他の2名で彼のお宅にお邪魔すると、部屋には山盛りになった牛・豚・鶏肉と、米粉でできた麺とスープなどがところ狭しと並んでいた。

その食事を頂きながら、私は少し懐かしい気持ちになっていた。というのも、実は私が初めて行った海外がベトナムだったからだ。

大学4年の頃、研究室のゼミ合宿と称してベトナムの大学の学生との合同ゼミや交流会に行った。これが私の始めての海外渡航経験になった。

当時、その合宿の前日まで別の予定があった私は、研究室の先生や学生たちとは異なる深夜発の便に乗り、現地にて単独で合流する必要があった。

曲がりなりにも初めての海外渡航で、しかも深夜便の前後で頭もハッキリしない中でベトナム国内でのトランジットがあり、それを一人での単独行動でこなさなければならなかった。

突発的な事象には予測可能性で対応する性質を持つ私は、当日を迎えるまでに20ページほどあるオリジナルの旅のしおりを作成し、そこには旅程や持ち物はもちろんのこと、不測の事態が発生したときの対応方法などを「地球の歩き方」から切り抜いて添付したり、かなり徹底して準備をした。

その甲斐もあり、渡航と現地合流、そしてゼミ合宿そのものは無事に全て終えることができた。ベトナム料理を食べると、その当時の初めての海外渡航でビビりにビビっていた私自身のことを思い出すのである。

他の3名は、私が脳内でそんなノスタルジーを感じていることにおそらく気づくことも無く、談笑しながら食事を楽しんだ。

ひとしきり食事を終えてからは、やはりそれぞれの研究事情の話になった。業界によって論文が書きやすい書きにくい、通りやすい通りにくいなどあるよねーとか、上司の教員から申請書書きなさいというプレッシャーがあるよねーとか、いろいろ話した。

そうやって話している間に、ふと気づいたことがあった。

それは、私には研究友達がいなかった、ということである。

今この場にいる4名は、近い職場にいて一緒に仕事をすることはあっても、しっかりお話したのは今日が初めてだという感じの関係性や距離感で、友達と言えるほどの関係ではなかった。しかし、今こうしてお互いに「研究」という共通の話題で、ある程度楽しく話をしている自分を客観視して不思議な気持ちになった。

この数年間、研究というものから気持ちがものすごく離れていたのは、「孤独だったから」というとても単純な理由だったのではないか、と思ったのだ。

博士課程に進んだその年にコロナ禍となり、予定されていた国内・国際学会は全てオンラインに切り替えられ、他大学の同世代の研究者と顔を合わせたり知り合ったりする機会が少なくなった。

加えて、もともと自分から主体的に新しく人と出会うことや、誰かに話しかけたり積極的にコミュニケーションを取ることに抵抗感があった私は、「研究」を通して積極的に人と繋がることをしてこなかった。

今回の食事会を通して、私の、研究に対して冷めていた心が、少しだけ温められたように感じた。何に取り組むにしても、一緒に取り組む誰かがいるって大事なことなんだな、と思った。

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ともやの思考整理note
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