しようは、ある。

突然だが「しょうがない」という言葉を「◯◯と思われてもしょうがない」という使い方をするのが嫌いだ。

自分でやったことを「そう思われてもしょうがないか」と思うのは別になんとも思わないが、人の所業を批判する文脈で「そう思われても(言われても)しょうがないよ」というのがすこぶる嫌いである。「そう思われてもしょうがないよね」と同意を求めるように使われることさえある。

人が何かを思うとき、少なくとも自分の中で何を思おうが人の勝手だ。だが、「そう思う」なら「そう思うよ」と言えば良いのである。「思われても(言われても)しょうがないよ」という言葉からは、「自分はどう思ってるかは言いにくいから言わないけど世間がそう思ってるからやべーよ(だからやめときな)」という、世間の風潮を隠れ蓑にしたある種の姑息さを感じてしまう。

あなたの「思い」はどこにあるのだ。そう思うならそれを自分の意見として言えばいい。もし世間が思っていても、自分はそう思わないのであれば「世間はそう言うかもしれないが自分はこう思う」と言えばいい。

しょうがないは漢字で書くと「仕様がない」。やりようがない、手詰まりということだ。
ほんとうにしょうがないのだろうか。あなたが自分の意見を言うこともできないのだろうか。

しようは、ある。


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