ともぞうの性別放浪記 その8
メルマガでは、またもやご無沙汰しております。
お久しぶりの方も、始めましての方も宜しくお願いいたします。
さて、最近、自分の中にある生活保護に対するスティグマについて考える機会がありました。
私は、強迫性障害とうつを患っておりまして、
通院を中断した時期があるものの10年以上通院・服薬をしながら仕事を何とかこなしていました。
しかし、今年の冬は鬱状態が余りにもひどく、仕事すら出来ない状態になってしまい、
せっかく入職したばかりの地域包括も2ヶ月で退職。
仕事が出来ないのでお金が入らない、お金が入らないと一人暮らしなので生活が出来ない、
かといって実家に頼りたくない、とグルグルした上にこれは生活保護を受給するしかないと思い至った訳ですが・・・。
いざ、保護を受給しようかな、と思うと自分のなかでそれはどうなんだろうという気持ちが出てきて、
自分でもびっくりしました。
まず、自分の中でネックだったのが実家、特に母親との関係です。
幼少期から色々とありまして、自分と母の関係はあまり良くない(というか、私が一方的に母が苦手)ので、
一人暮らしを続行するために生活保護を受けたいと言ったら、
母がそれだったら実家に帰ってきなさいと言われそうだな、という不安感があり。
では、母には内緒に内緒で保護申請をしたら、と思っても扶養照会が実家に行ってバレる事は確実で、
やっぱりそのまま実家に帰ってこいと言われるかもとの不安感がやっぱり。
そうなると、保護は受給せずに何とか動ける夜間に仕事をして、がんばって自分で稼げばいいのでは・・・
という思ったものの、現実はそんなに甘くないので仕事が出来る状態ではなかったのでした。
また、自分は何とか仕事が出来るから(現実問題は出来てないんですけどね)保護を受けるのはどうなんだろう、
とか、保護申請を拒否されたらどうしようとか、支援をする人間が生保を受けるのはどうなんだろう、
そういった気持ちもありました。
結局、母と生保受給についてや今後についての話し合いをきちんと行い、
4月から、これだったら今の状態でも出来るという仕事を週2回だけ行い、
後は実家からの仕送りで一人暮らしを続行するという事で落ち着きました。
仕事が始まるまでは、実家からの仕送りのみで生活をしています。
自分が支援をしていたときは、気軽に「生活に困った時は生活保護を受給すれば大丈夫です!」
などと軽く(今考えると本当に軽かったと思います)言っていたのですが、
いざ自分が受けようとするとこんなにもハードルが高いのか・・・と今更ながらに実感しました。
一応支援職として仕事をしていた自分ですらこんな風に思ってしまうのであれば、
普通の方が受給しようと思ったら・・・と、今更ながら生保のハードルの高さとスティグマの深さを実感しました。
もしかしたら、知りすぎてるからこそかえって酷いのかもしれませんし、
実家との関係も深く関係しているのかもしれませんが。
また、今回精神障害者福祉手帳の申請も行いました。
ずっと自立支援医療の制度は利用していたのですが、
この状態だと手帳も申請した方がいいかもしれないなと判断をしました。
私の通院しているクリニックはPSWがいないので、手続きの相談などがが出来ないのがちょっと困ったかも。
障害年金の申請もするか迷ったのですけどね。
生活保護や手帳、年金の相談が気軽にできるPSWがいたら良かったのに、
と改めてMSW/PSWの必要性を身をもって感じました。
自分が支援者だった時は、ついつい慣れもあり社会資源を簡単に案内する事が多かったな、
と支援を必要とする立場になってやっと反省する有様です。
ありきたりですが、支援を必要とする人たちに寄り添う事の大切さを改めて感じた出来事でした。
喉元すぎれば・・・にならないように気を付けていこうと思っています。
では、また。
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