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わたしの祖母の物語

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このお話は、明治後半に生まれた祖母による「自称『おしん』より壮絶な人生」を描いたもので、明治20年から昭和54年くらいまでのことが便箋約40枚に綴られています。祖母が自分で書いた…
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#小樽築港

小樽にやってきた~わたしの祖母の物語②

小樽におちついた祖父は、築港の仕事にかり、はたらく人が方々からあつめられて来ました。 其の人々の中に、野付牛(今の北見)から来た楯身友蔵と云ふ若者がゐました。 友蔵は、野付牛で〇玉と云ふ大きな工場の小分でした。 祖母と母は大ぜいの食事の仕たくをし、弟の武士は床屋に弟子入りをし、妾もすくすくと大きくなり、四才になったある日、突然妾しが見えなくなりました。 家は水産學校の下にありましたので、妾はいつも學校のまわりで遊んで居たのです。 母は食事もノドに通らず、くる日もくる

幸子誕生~わたしの祖母の物語①

明治廿年、秋田雄勝のかたいなかに、小野康太郎、母ノブとの中に生まれたノヱは、十七才の時大きな病院に看護婦見習としてはいりました。 其の時、東京からインターンとして来た石坂幸益とノヱは、恋仲になりました。 ノヱの父は武士の出でしたが、大工として東京の二ノ組にはたらきに行って居ました。 ノヱは、弟武士(タケシ)と母ノブの三人暮らしでした。 ノヱが十八才になった時、幸益は医者として世に出るため東京に勉強に行かなければならぬ事になったが、その時ノヱは妊娠していたのです。 院