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わたしの祖母の物語

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このお話は、明治後半に生まれた祖母による「自称『おしん』より壮絶な人生」を描いたもので、明治20年から昭和54年くらいまでのことが便箋約40枚に綴られています。祖母が自分で書いた…
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弁士、一條民子~わたしの祖母の物語⑦

此れをきっかけに妾は弁士の免許をとり、一條民子の芸名で舞台の人と成りました。 其の時、カルカヤの役をやった人が浅田でした。 浅田は高校を出て失恋して弁士と成ったそうです。 其の時の浅田にわ、叶屋と云ふ料理屋に文子と云ふ、深い仲の夫婦約束をした人が有りました。 又、妾の舞台での師匠でもありました。 よく遊び、父の片腕でも有りました。 妾の芸名は、浅田民雄の民をとって一條民子と付けたのです。 説明者としての免許もうけ、資格も取った妾しは、舞台の人と成りました。 妾

劇場で働く~わたしの祖母の物語⑥

どうにか六年卒業した妾は女學校に行く事をたのみましたがゆるされず、劇場の手伝いをする事になり、東京から送られてくる物も「不自由はさしてゐない」と父に怒れてことわりの手紙を出しました。 その後、東京からわ何も送ってこなくなりました。 父は古い劇場をこわして、二條西三丁目有楽座と云ふ常設館を立てました。 どうじに父の弟夫婦も来て大かぞくに成りました。 妾はテケツ、兄はギシとして働く事に成りました。 父の力ぞえもあって、劇場の前に床屋を出した叔父は結婚して、やさしい叔母も