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わたしの祖母の物語

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このお話は、明治後半に生まれた祖母による「自称『おしん』より壮絶な人生」を描いたもので、明治20年から昭和54年くらいまでのことが便箋約40枚に綴られています。祖母が自分で書いた…
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#黒部

波乱の人生の初まり~わたしの祖母の物語④

母の家に付いて妾しの見た物は、母のひざにの上で、乳房をふくんだ小さな子、そしてかたにもたれて不思議そうに妾しを見てゐる男の子、母に逢ったらすがりついて力一はいだきしめてもらへると思った。 妾しのだきつく所はどこにも有りませんでした。 母の家は日の出湯と云って浴場でした。 二階建の大きな家で、二階にわ母の●と(しうと)にあたる祖父母と、先妻の子(母は二度目でした)で利光と云ふ、あまり利効そうでない父の長男が居りました。 妾と祖父は下の六丈間でした。 朝食●がおわると、

母に逢いたい~わたしの祖母の物語③

やがて仕事も切上げ、皆それぞれの家に帰る事になりました。 楯身から母を嫁にほしいと云われました。 三年すぎても石坂よりはなんのたよりもなく、かはいそうに思った祖父母は妾しをつけて楯身の嫁にしたのです。 やがて父は母をつれて野付牛に帰る時、妾しを手放す事の出来ない祖母は、学校に行く迄は育てる事にして引取、父は母をつれて野付牛に帰って行きました。 妾が六才をむかへた時、野付牛の父から黒部旅館を建るのに棟梁として来てほしいと手紙がきて行く事に成りました。 三人に見送れ別れ