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音楽と言葉

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クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
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クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

ソプラノ歌手、詩を書く。

友人の勧めでnoteを始めてみた。 昔アメブロとかもやってたけど、媚び媚びなコンサートの宣伝ばかりになってしまって書くのが面倒になり、ほぼFacebookにたまに書いたマジメな文章を貯めておく倉庫のようになってしまっていたから、心機一転こういうのも悪くないかなと思う。 私はソプラノ歌手だ。 -ああ、スーザンボイルね! 音楽に詳しくない方と話すと、大抵こう返ってくる。 まぁ、そんな感じです。 ザックリ言うと、綺麗な裏声で色んな歌を歌う人。 今はシンガーソングライターと

トランペットを始めて半年の頃にユースオーケストラにいってみた時のこと

初めてオーケストラの中でトランペットを吹いたのは小学6年生の秋だった。まだトランペットを初めて触ってから1年弱、習い始めてから半年の頃だった。 逗子には「湘南ユースオーケストラ」というユースオーケストラがあり、家のすぐそばの小学校で練習をしていた。指導は前澤均先生という逗子にお住いの元N響のヴァイオリニストの先生。 家でドラクエ8をやっていたら神代先生から突然電話があり「座っているだけでいいから今からユースに行ってみなさい」と言われ、体験に行った。 初めてのオーケストラ

小学生の頃イギリス帰りの友達がトランペットを教えてくれて先生を紹介してくれた話

noteはこのシンプルでスタイリッシュな雰囲気によってちょっときつい自分語りもイケてるエッセイのようにしてくれる。気がする。だから意外と音楽家の友達にも話す機会が少ない「トランペットを始めたきっかけ」について長い自分語りを書いてみよう。吹奏楽部で始めたわけではないから珍しいタイプだと思う。 「音が出せない」楽器をやってみたかった子どもの頃から多少ピアノには触れていたものの機会がなくて習ってはいなかった。バレエを習っていたからなのかクラシックはとても身近で、みんなが聴いていた

モスクワを写真で振り返る ロシアもヨーロッパだった

3か月前に初めてモスクワに行った。その頃は 「ロシアにはコロナウイルスないから」 とみんなが思っていた時期だ。まさか35万人になるとは夢にも思わなかった。2月末の当時は既に20人ほどの感染者がモスクワで見つかっていたらしいが、都市閉鎖されたのはそれから1か月後という遅さだった。 モスクワへ行く飛行機でもマスクをしていたのは日本人とモンゴル人だけ。空港で「マスクをするのはロシアではよくないことだ」などとふざけたことを言われるほどに、まだコロナウイルスは他人事だったのだ。