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間内の井上医院へ入院:昭和61年(1986年)冬:昭和40年代小牧市に生まれて

ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。

諸事情により、私のnoteは公開後2週間で有料にしています。予めご了承ください。



間内の井上医院

実家の最寄り駅は隣の春日井市牛山にある間内駅
昭和63年、間内駅の改札は今と違って、春日井市側(反対側)にありました。
この駅の近くにある病院「井上医院」。
私のとっての町医者さんです。

体調が悪い時はとてもお世話になりました。
その病院にとてもお世話になるきっかけとなった昭和63年


腰に激痛がはしる

大学3年の冬。日中は学業とVocal部でバンド、夜は
K.F.C(ケンタッキー)のアルバイト。

とにかく忙しい。

しかしこの頃から忙しさのしわ寄せが体に来る。

ある朝起きると、腰が痛い。
その時は、あまり気にしなかった。

ある朝起きると、腰が伸びない。
よく意味がわからなかった。

ある朝起きると、背骨がゆがんでいる。

ある朝起きると、うまく歩けない。

ある朝起きると、車の運転ができない。

ある朝起きると。。。

日々おかしくなってゆく。

両親は、そんな私に無関心である。
まぁ、家の手伝いもせず、家にもほとんどいないので。。

そして、そんな私は最初、知人の紹介で接骨院に行った。
でも直らない。

そして、とうとう激痛が全身を。

名鉄小牧線「間内」駅の近く井上医院の井上先生に見てもらうこととなる。

井上医院は、小学の時からのかかりつけのお医者さん。
そこで入院をすすめられる。

当時この井上医院には、私の先輩のお母さまが事務仕事をされていて、
最初に先輩がお見舞いに来てくれた

田舎の情報が早いですね(笑)
でもありがたかった。

若い私が病院で大人しくできるわけもなく、漫画を読んだり看護師さんをからかったり。

バカですね。
今の私なら、読書をするか資格試験の勉強をしていたでしょう。

ただ、ここの経験が後の私をつくるベースにもなります。
この後、井上医院から小牧市民病院へ転院するのですが、そこで独立を決意したり、会計学(簿記)の勉強をしたりするようになりました。

話は戻して、この井上医院がきっかけで利用するようになったのがこのお店でした。

中部大学を休学することに

両親に入院決定の話をし、中部大学へ向かう。

当時一番お世話になっていた、外書購読(行動科学)の喜味田(かみた)教授にも相談。
「ゆっくり病気を治しなさい、復学をしたら私の講義にまたきなさい」とてもやさしい教授であった。

結局大学は下期の試験直前のため、この年の通年単位、下期講義の単位は全て取得できず留年が決定することとなる。

入院は昭和63年12月15日でした。

いまの井上医院さん

私がお世話になった、創業者の井上先生は息子に継承させたのですが、
息子さん先生は、大病になる早く亡くなられたそうです。
今は、創業者のお孫さんがこの病院を引き継がれているそうです。


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この記事はマガジン「昭和40年代 小牧市に生まれて (自分史)」でまとめています

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