SNSにおいての死

例えば急にTwitter、ブログの更新が途絶えて何のアナウンスもなしにHPからも消えてしまう。そんな弱小AV女優がよくいると思うがそれはホントに参るし泣きたくなる。報告ぐらいしてくれよ……とか思ってしまう。
でも、これは急に姿を消してしまうAV女優だけではなく、「報告」という物は大切だし、クサイ話ではあるが社会人としても大切なことだと少なからず思う。
だが僕みたいないわゆる『クソアカウント』(フォローしてもらってる人には申し訳ないが)を運営しているTwitter民としては姿を消すということと隣り合わせだと思う。
それは「凍結」により姿を消すだけではなく人間誰もが経験する「死」ということ。ただ単に自殺ならツイートしてから死ぬなんて精神状態ではないだろうし、ましてや事故死なんか遺言をツイートで…なんてバカげた話はない。
しかし「犬ドック 猫山」というアカウントは僕ではなくあくまでも「犬ドック 猫山」という人物なので「犬ドック 猫山」だけを殺す事が僕には出来る。それは死なのか、元々生きてない、言ってしまえば存在してないのに死なのか。それは一生かけて考えていかなければならい。まぁそんな必要は無いとも思えるが……
ここからは他人の死について。
ものすごく失礼だかここでは名前を伏せさせて頂くが、僕が好きな「某Twitterで嘘をついて何度も凍結してしまっている人」が亡くなってしまったらすごく悲しいし立ち直れないレベルだろう。
でもその方のご遺族からすれば「たかがSNSの人」としか扱われないし、もはや「ただの他人」でしかない。これが凄く寂しい事だと思う。よく分からない感情だが、これは「悲」に近い気がする。

長々と書いて来たが最後に僕が言いたいのは、僕がもし死んでもTwitterには何のアナウンスもされないし、誰にも恩返し出来ないと言うこと。(もし死んだら察してくれ…)
それと「某Twitterで嘘をついて何度も凍結してしまっている人」がはやく帰って来て欲しいということ。そして一番大切なのは弱小AV女優がアナウンスなしに消えてしまわない世界になること。
これが大切なんだぜ。

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