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①「大学→トレーナーに至るまで - なぜ大学院を中退したのか?-」

わたしは、東京大学の農学部を卒業し、そのまま何も考えずに3~4年次に所属した研究室に居残って研究をしていました。
そもそも大学時代はそれなりに勉強を頑張っていたものの、どちらかというと才能があった部活動の躰道にのめり込み、朝練も含めそれこそ毎日稽古に励んでいました。

(ぶっちゃけいうと、東大は努力でギリギリ滑り込んだもので、入試の点数は最下位、大学入ってからのクラスでも出来が悪く、特に物理とか理数系に関しては苦手で、夏休み中勉強しても赤点をとっていました。毎朝1時間前に学校について一番前の席で授業を受け、食事中にも勉強していたのにも関わらず、毎晩飲み歩いていたクラスメイトよりもテストで点数が取れなくて、これが才能の差か…とショックを受けていたのを今でも覚えています。)

体育会系の部活にのめり込んでしまった大学生あるあるで、まずは部活動のことが第一、将来の展望とか設計とか何もなく、ただ単にそれが楽な道だから、という安直で思考停止な理由で、学部時代に入った研究室で大学院生として研究を続けました。


研究は研究で楽しんでいて、特に部活動を引退してからは何度も徹夜するレベルでのめり込んでいましたが、ふとした瞬間に疑問に思うことがありました。
「ぼくはなんでここにいるんだろう?」
「真夜中まで電気を使って何をやっているんだろう?」
「こんな将来なんの役に立つかわからない、運任せな研究をやっていて意味があるのか?」

また、ど田舎から憧れて上京して始めた東大での生活で、常に思っていた疑問、
「ペーパーテストが得意なだけのやつが何故か社会の上層部にいる」
「倫理や思想が伴っていなくても、学力や金があるという理由で人は医者を目指す」
「頭が良くて研究者として実績があっても、人間的に優れているとは限らない」
などと言った洞察が重なって、アカデミアの世界にいること自体が嫌になった瞬間が有ありました。

ぼくは部活動という経験にとても感謝していて、そのために東大に入ったんだなと思うこともあるのですが、体育会系の部活動の中で、人を思いやることの温かさ、人を信じることの素晴らしさを学んでいただけに、学問だけに関心があって視野の狭い人たちの中にいることに嫌気が差してきたのです。

そうして、とりあえずのめり込んでいた研究から離れて大学へは行かないことを決意し、晴れて僕はニートになりました。
ここからの人生はなかなかに濃厚すぎて話が終わらないので、かいつまんで要約します。

・大学を休学し、とりあえずベンチャー界隈で就活しようとしました(厳密にはエントリーシートを書いたこともないしSPIも受けたことないので就活経験ありとは言わないでしょう)
・WEBマーケやプログラミングなども独学で勉強しようとしましたが、自分にあわず挫折(ただ、今でもWEB周りやwordpressくらいは分かるのでいい経験でした)。
・偶然にもふんどしに出会い、快適な日本の伝統下着として可能性を感じ、「株式会社ふんどし部」を起業。ビジネスモデルや事業計画書すらなかったけど起業。この頃から借金と無限リボ払い発動w
・ふんどし一丁で街を歩いたり電車に乗ったり、テレビやラジオやネット記事など露出(文字通り露出)
・ふんどしを作って売ってても儲からないので趣味でトレーニング指導を始める。
・人の体ってめっちゃ面白いじゃん!
・なんかトレーナーとしての活動を始める。

いかがでしたでしょうか?
めっちゃはしょりましたよねw

我ながら濃厚な人生を生きてきたと思います。
ここからどのようにトレーナー時代を生き抜いてきたか?
続きが気になる方は、次回の配信をチェック!w

次回:野田が赤裸々に過去を語るシリーズ②
「駆け出しのトレーナー時代の生き方」

なんの地位も名誉も実績もないわたしですが、自分の責任で自分の度胸で、自分だけの人生を猛スピードで早歩きしてきた自負はあります。


そこらへんの僕の強さが浮き彫りになるかもしれないので、次もよかったら読んでくださいね。


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