トップレス幼稚園生


幼稚園に通っていた。  
私は3月の末生まれなので、その歳の頃は一年近く人より遅れていたわけで、体も小さかったし動きもものの理解も遅かった。

母は元幼稚園教諭だったので、そんな私を常に急がせた。
…ていうかさ、今思えば、幼稚園の先生やってたのなら余計に、3月生まれの子どもが集団の中で遅れをとりがちなことを知ってたはずなんだけど

あの頃…私が生まれた1980年代は、天才・優秀・いい子賞賛の風潮がひどかった、のかもしれないが、それは幼稚園教諭の立場で「子どもをいかに優秀な人材に仕上げるか」というような視点、での話。あ、これ全部、私感です。

時間の概念があまりなかった私は、どうしていつも「早くしろ早くしろ」と言われるのか全く理解できずにいた。
一日はこんなに長いのだから、急がなくても準備ができてから行けばいいのに。

と、言葉にできないながらに感じていた。

そんな私だから、幼稚園の集団登園の集合時間に間に合わないことが多かった。
ある日、母に激怒されながら集合場所に行ったら、すでにみんな出発したあとで、誰もいなかった。
私は「誰もいない!やったー、今日は私が一番だ!」と思ってとても嬉しくなった。
のも束の間、少し後からやってきた母に
「ほら見てみぃ!あんたがチンタラしてるから、もう誰もおらへんやないや!」
と怒鳴られて初めて、みんなは先に行ってしまったので、むしろ自分は一番遅かったのだ、と気がつくような有様だった。

我ながらすごいのは、こんなことがあった時にも
「あれ?一番立と思ってたら、置いていかれてたの?!間違えちゃった!あはは!」

と本気で思い、別に傷ついたりしなかったことだった。

小さい弟を連れた母にどやされながら、子どもの足では徒歩40分はかかる幼稚園まで連れられていった。

そんな風に私は、人よりもとても遅かったのだったが、自分としては自分の世界の中でゆったりボーッとたゆたうような感覚で、この世を愉しんでいた。

が、大人たちにこれが伝わるわけもなく、伝える術も知らず、時々言ってみたところで
「そうなの?ちょっと分からないわねえ」
と言われるのがオチだったから、頭の悪い大人ばかりだなぁ…と感じた私は、そんな自分の世界観について、話すことはなくなっていった。

前置きが長くなってしまったけど、水泳の時間の話をしたかったのだった。

幼稚園にもプールの時間があった。
ひとりで水着に着替えなくてはならないのだが、私が持たされた水着はビキニタイプだった。

トップのブラ状のものは、後ろでヒモを結ぶようになっていたので、当然幼稚園生の私には結べなかった。

「先生にひもやって、って言うんやで!」

と母からは言われていたし、うんうんと適当に頷いて、水遊びは好きだったからプールの時間を楽しみにしていた。

が。いざお着替えが始まると、私はひとりでトップスを着られないことを思い出して愕然とするのだった。
ひとクラスには30人くらいの生徒がいたと思う。先生も忙しそうで、困りはてて放心している私には気づいてくれなかった。

たまに、気づいてくれた先生が結んでくれて、プールに参加できることもあったが、それ以外の時…つまりほとんどの時間…私は教室のすみでぼんやりと座って過ごした。
パンツは自分で履けるけど、ビキニのブラのひもはひとりでは結べない。

あーあ…私も早くプールに入りたいのに。
誰かやってくれないかな…だれもいない。

という状況で、着替えられないまま時間が過ぎてゆく、なんともいえない時を過ごしたことが、一度や二度じゃなかった。

が、そのうち私の遊びたい欲が勝つ時がくる。
トップレスでOKてことにして、上は裸のまんまでプール遊びをすることにしたのだった。

今考えると、先生も親も、目が届いていなかったのか気づかなかったのか、不思議なんだけど

そもそも幼稚園の子にひとりで着られないビキニタイプの水着を持たせるのもどうかしている。

母も先生にひとこと言ってくれるとか連絡帳に書くとかしてくれたらよかったのに、私が人に頼むことができないのが悪い、というふうに扱われていた。

そりゃまぁそうかもしれないが、4歳とかよ?
言えない子だっている。(私なんだけど)

トップレスで遊ぶ私に気づいて、声をかけてくれる先生も時々はいて、その時は
「紐が結べないから着られないの」と言って着せてもらえることもあった。

このように、私は幼稚園年少の頃のプールはトップレスで参加していた。

今だったらありえない気もするけど
幼児の裸だから、気にならないといえば気にならないのかな?
私が好きでそうしていると思われていたのかな?

とか、考えてみるけど分からない。

そんな、おっとりと皆から取り残されつつも、自分を楽しんでいた私を、なんて可愛かったのだろうと思う。

が、母は全くそうは思っていなかったようで、とにかく「あれが出来ない、これができない」と、四六時中怒られていた。

最近分かったのは、そんな母が発達障害だったということ。
「ASD積極性奇異型」という、一般社会に溶け込むと非常に分かりにくいが、身近な者としてはかなりのモラハラやセクハラを受けてしまうというやつ。

子どもの頃のビキニ事件も、意識してはいなかったけど、恥ずかしくなかったわけじゃない。

だってしょうがない、って思っていた。


そんな、大昔の話でした。


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