デザイン思考至上主義ってど〜なの?方法論の多様性の重要性。

最近仕事柄、色々な科学研究室を訪ねて研究内容を知ったり、意見交換会と呼ばれる科学者の先生方と交流できる会に行ったりしてるのだけど、たまに超応用研究が得意な先生がいる。
特にそういう先生はセンスの良いアーティストと話すようなもので、勘がよく機転が聞いて話してて非常に面白い。
なんというか、今の時代に求められてるものってこういう分野横断形の応用研究がみたいなもので、そういう思考を一言でデザインシンキングと括っていいものなのか疑問が残る。

別に色んなやり方もあるだろうし、あとこういう人ってデザインに限らずどこの分野でも抜きいでた応用思考の出来る人はいるものでね。ビジネスの分野でもいるしね。
逆に言えばいわゆるデザイナーの全てがこういう思考が得意かと言われればそうとは限らない。別に悪いことではないけど、中身の大胆なしくみの変容より、コミュニケーションレイヤーの誘導研究の方が興味のある人も多かったりするしね。モノサシや思考法を単純にしてしまうのはどうなんだろうね?

あと世の中が文系に傾倒化するのも変な話だなとも思い。正直こういう科学者の方に会って話を聞くと、もっと科学の事が知りたくなる。逆に子供の頃こんな研究がある事を知っていれば、楽しさやロマンを知っていればもっと興味を持って科学について知りたいと思っただろうと非常に思う。私はそれを子供の頃知らなかっただけ。

形式的に学ぶことが求められると、その面白さを受け取る部分を無意識的に排除しているのかもしれない。あとは導入の接点のデザイン。
お笑いやミュージシャンを目指す若者が増えるのはメディアの影響なわけで、多分いい意味でこういう面白い研究が取り上げられれば、もっと面白さに目覚めてこういう分野を目指す若い人も増える気がする。こういうリソースや基盤がある国なだけに、理系人材が少なくなるのは非常に勿体無い!
どんなにAI技術が発達しようと、自然科学を理解する基礎学力は必要になると思うのだが: そういう知識を盲目的にこれからそこまで重要じゃないと仮説立てて尻つぼみにさせていくのも危険な気が。

デザインという言葉を持てはやしすぎて、ただ盲目的にカッコいいからってんで、表現系のデザイナーを目指す人を社会に増やしすぎるのもどうなんだろうね?
表現系デザインやアートの世界と同様に面白く、社会の役に立つような事は、表層的に派手に訴えかける分野以外でもいっぱいあるんだなと思う。
そういう外見以外のしくみの面白さに興味を持つ人が増えれば、そういう分野自体を知る機会も多くなると思う。

説明に書いてある事以外の応用研究をしてる方も結構多く、直接話を聞けるのは刺激的だし、俄然興味が湧く。他の人とのコラボレーションに興味があるかないかのレベルも人それぞれ。これは会ってみるまでわからない。
どんな分野横断でもそうだけど、コミュニケーションの積み重ねのための出会いや、人間同士の対話時間など、自然な接点の拡張が重要だったりするのよねー。

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