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日本の伝統家屋を見て、ルーティンワークとクリエイティビティについて考える

飛騨の里という合掌造りの家や飛騨エリアの昔の家屋を保存した観光施設に行って来た。(白川郷は諦めた。)
あの合掌造りがなんであの独特な形状をしているのかといえば、豪雪地帯だからという理由だけでなく、冬の間の収入のために養蚕業を行なっていて、温度調整ができる二階を作ったのだという。独特な作りの家屋。二階部に入るのが面白い。
当時の蚕の生産がどういうものだったのか器具等を展示していて興味深かった。藁など身近な素材を使って作られていた。
ほかの同じエリアにある素朴な板葺き屋根の家屋も見たが、おそらく養蚕業を副業していた家はある程度裕福な家だったんじゃないかと。かなり簡素な板葺きに石の抑えの家なんかも展示していて、より昔の生活様式を身近に身近なものに感じられた。
土間って凄いよ: 土の上にムシロのみ。多分実際は雨漏りとかあれば、床はぐちゃぐちゃだろうし、安価なフィッティングなのかと。
板間は高級な部類で、畳は更に高級品だと思われる。多分だから高度経済成長期に畳の間をこぞって皆民家や団地に轢いたのはそのためか?富の象徴的な?

多分独特で立派な世界的にも珍しい建造物が生まれた理由は、ただ単純に地形的な豪雪地帯だったという理由だけでなく、独特な建築物を生む自律的な経済性=産業と住居の融合にあったのね。

当たり前だが、保存されている昔の家屋のように皆カッコいい家に住んでいた訳ではないんだよね。
あと冬の降雪時の内職としての藁細工は面白い。日本人が全体として器用なのは、こういう工芸生産文化が日常的にあったからなのかと思った。リュックサックやバッグ、子供用品など日用品のありとあらゆるものを買わずに自分たちで生産し使う。とても面白い。
昔は何事も自分で作って直して、買うことはあまりなかったという。(まぁもちろんそんなこと今全部やるってのも難しいだろうが。。)
これもたかが150年くらい前の話であるのは凄い事実。

ちょうど旅行中に今、イザベラバードというイギリス人の女性の旅行作家で、19世紀の維新直後に初めて欧米人日本を旅した女性の日本紀行を読んでいるのだけど、美味しすぎて舐めるように読んでいる。
明治維新といえば今のようにガラっと色んなシステムを変えていった時代で、近いところがあり面白い。
例えば外国人を招いてそこから学ぶとか。例えば外国で植民地支配された国が入植で起こるような事を、逆にこちらから招いて学ぶという事をしていた。 ゴーンさんを招いた日産のようなああいう組織改革的トレンドはつい最近に始まったことではないようだ。
あと当時の日本人の気質や生活様式にもこと細かくどうでもいい情報まで記載されてて良い。でも基本は勤勉で温厚というのが印象に残った。全体的に地味だが、農作物はどこも綺麗に整えられていると。

こういう昔の生活様式のイロハに触れたり、外国人の目から見た原始的な日本人の姿を想像すると、昔の庶民というのは基本的に日々の労働に追われていたんだよな。
こなさないといけないルーティンが多く、そういった勤勉さが生きていく上で欠かせなかった。あと、昔は労働力も多くコンペティションが多かったとも。だからまぁ色々社会の中にルールが多いのもそういう事なんだろう。

これから先ルーティーンワークがなくなりクリエイティブ力が重要になってくると言われているけど、現実的な補助線を引くにしてもこういう歴史とか現実は無視できないよなーと思う。そういう考えが生活基盤になっている事を考えると。
ただ、藁細工の多様性や合掌造り等にみるものづくりの工夫を見てると、やっぱり日常的に何かを自分で作ることに喜びを感じる民族なんだよなぁ、私たちはと思う。


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